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なにもできない夫が、妻を亡くしたら(野村 克也)

「大丈夫よ、なんとかなるわよ」

なにもできない夫が、妻を亡くしたら
野村 克也(著)
昨年は多くの著名人の訃報を受け、しみじみ寂しいと感じることが多かったです。そしてその度に、一体自分はどのような最期を迎えるのだろうと、考えてしまいます。

もちろん死に様は選べるわけではないのですが、ある意味羨ましいと感じる亡くなられ方をしたのが、2017年12月8日にこの世を去られた野村沙知代さんです。

人のご不幸を「羨ましい」などと言っては大変失礼ですが、旦那様である野村克也さんご自身が、この本の中で「(ご本人にとっては)理想的な死に方だった」とおしゃっているのですから、許していただけると思うんです。

著者である野村克也さんは、1935年生まれ。三歳の時にお父様を亡くし、お母様お一人で二人のお子さんを育てました。おうちは大変貧しかったそうです。

六畳一間に三人暮らし。野村さんがプロ野球選手を目指したのは、学歴もコネもない中、大金を稼げる方法はそれしかないと思ったからだそう。

高校生の時に南海ホークスのテストを受け、ブルペン要員としてなんとか入団し、その後一軍に入り活躍。選手でありながら監督を兼任するまでになっていきます。

とはいえ、私はこのころの野村さんを全く知りません。まだ小学校にも上がっていなかったんですもの。

私が野村さんの名前を意識したのは、小学校低学年の頃だったと思います。

当時、野村さんが色々なスキャンダルにまみれ、南海ホークスを退団せざるを得なくなったことが、新聞やワイドショー(「3時のあなた」かな?)などで大々的に報道されていました。

当時詳しいことは全く理解していませんでしたが、私の中に「南海の野村=悪党」というイメージが出来上がってしまっていました。

そんなある日のこと。

父と話をしていた時、父が野村選手を褒めるようなことを言いました。

思わず、「でも野村って悪い人でしょ」と口を挟んだところ、ものすごい剣幕で怒鳴られたのです。

「お前に野村の何が分かるっていうんや!!!」

びっくりして声も出ませんでした。

私はそれまで父に怒られたことがありませんでしたし、「お前」呼ばわりされたことも、この時だけです。

父は幼い頃、戦争が激しくなったとき、大阪の南部に疎開していたんです。南海沿線です。

その影響でしょうか、プロ野球は南海ファンでした。

どれくらい南海が好きだったかというと、会社に野球部ができた時、ユニフォームはほぼ南海ホークスと同じ、グリーンを基調にしたものに決めてしまったくらいです。

他の人は、ジャイアンツ、もしくは阪神タイガースふうのユニフォームにしたがっていたのに……。

その愛する南海にテスト生として入団し、苦労して一軍に入り、登りつめていった野村さんに、父は色々な夢を重ねていたのだと思います。

ともかく、子どもごころにまで「野村=悪い人」と刷り込まれたスキャンダルの原因の一つがサッチーこと沙知代さんだったと知ったのはのちのこと。

昭和45年、前の奥さんと別居中の野村さんが、サッチーと出会い、離婚が成立しないうちから同棲、子どもまで出来てしまったんですって。

球団から「野球をとるか、女をとるか」と迫られ、その場で「女をとります」と答えた野村さん。
「世の中に仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代という女は一人しかいませんから」
(野村克也さん『なにもできない夫が、妻を亡くしたら』 P64より引用)
と啖呵を切ったそうですよ。

うーむ、そんなふうに言ってもらえるなんて、すごいことですよ。

どんなに素晴らしい女性であろうかと思うけれど、正直に言って、サッチーのイメージは思ったことをズバズバ言う恐いオバさんではないですか?

表面はそうでも、家庭では淑やかで夫を立てる賢夫人……などということはまるでなく、やっぱり家庭でもズバズバ、サバサバだったみたいです。

でも野村さんにとってはそれで良かったんですって。

というのも、野村さんは洋服のコーディネートから、スケジュール管理、仕事の手配、お金の管理など、何もかも沙知代さん任せ。

ご自分にとって沙知代さんは、妻であると同時に、マネージャーであり、経理担当者でもあった。もっと大きな意味では、彼女に「父親」を見ていたとおっしゃるのです。

これには胸を打たれました。

自分のお嫁さんに母性を求める夫はよくいるけれど、お父様の記憶がまるでない野村さんは父性を求めたのですね。

だから多少強引でも、物事をスパスパ切って進んでいく沙知代さんとやってこられたのでしょう。

内助の功どころか、仕事の足を引っ張られるのは、南海ホークスを解雇された時だけではなかった。それでも離婚しようと思ったことは一度もないそうです。

夫婦となって45年、いつか別れが来るときはご自分が先だと思っておられたのに、沙知代さんが急死されたのでした。

最後の言葉は「大丈夫よ」。

救急車を手配し、うろたえ気味の野村さんにそう言ったのですって。

もともとどんなことが起ころうと「大丈夫よ、なんとかなるわよ」が沙知代さんの口癖だったそう。

その言葉が、今の野村さんを生かしているそうですよ。

私は一度だけ野村沙知代さんをお見かけしたことがあります。2014年の春に東京に行ったとき、ホテルで出会ったのでした。

そのときの沙知代さんは、華やかなプリント柄のお洋服に、メイクも綺麗に整えられていて、パッと目を引きました。

この本を読んで、夫婦って外から見ただけではわからない歴史を持っているし、夫婦の役割分担も一概に決めつけられるものではなく、夫婦の数だけ有りようがあって良いのだなと思いました。
なにもできない夫が、妻を亡くしたら
野村 克也(著)
PHP研究所
2017年末、最愛の妻・沙知代さんが85歳で逝った。普段は財布も持たず、料理もしない「なにもできない夫」が、妻を亡くしたらどうすればよいのかー。「その日」はどんな夫婦にもやってくる。大切なのはそれまでに、支えとなる「ふたりのルール」を作っておくこと。野村家で言えば、それは「死ぬまで働く」「我慢はしない」「どんな時も『大丈夫』の心意気を持つ」などである。世界にたった1人の妻への想い、45年ぶりに訪れたひとり暮らし…。球界きっての「智将」が、老いを生きる極意を赤裸々に語る。巻末に曽野綾子氏との「没イチ」対談を収録。 出典:楽天
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池田 千波留
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