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■関西・祈りをめぐる物語


[第五回]漫画家 美内すずえさん

「中島さん、祈りといえば美内さんですよ」
第一回の『古事記のものがたり』の著者・宮崎みどりさんにご紹介いただいたのは、『アマテラス』や『ガラスの仮面』で著名な漫画家の美内すずえさん。

「彼女は、不思議な体験がたくさんあるからね。いい話が聞けると思いますよ」
第四回の枚岡(ひらおか)神社の中東宮司も、美内さんとは旧知の間柄で、2013年には一緒に葦船(あしぶね)神事をされています。

「祈り」というキーワードで繋がってゆく、数々のご縁と流れ。古代の船“葦船”の存在にも心惹かれ、昨年11月に開催された葦船を使ったご神事、道頓堀合同慰霊祭にお邪魔しました。

慰霊祭前日の葦船作りにも参加させていただいたのですが、手伝っているうちに、取材に来たことを忘れてすっかり夢中に・・・・・・。「せえのっ!」という掛け声とともに、総勢約20名、綱引きのように左右からロープをひっぱり、葦をぎゅうっと束ねながら、少しずつ船の形に仕上げていきます。全身の力を使って、皆の心を一つにして一隻の船を作る。初めての新鮮な体験でした。

漫画『アマテラス~倭姫幻想まほろば編』の取材をきっかけに、日本各地の聖地・霊地を巡ってきたという美内さん。葦船のお話から始まり、全国の聖地巡り、『ガラスの仮面』の中の劇中劇「紅天女」にまつわるエピソード。さらに祈ることや神さまについてなど、まさに壮大な「祈りの物語」をお聞かせいただきました。
漫画家としての作家活動とは別に、古代の船「葦舟(あしぶね)」を再現する活動をされているとお伺いしました。葦船との出会いについてお教えください。
子どもの頃から、船が大好きなんです。特に古代の船、帆を張ったエジプトの船や大航海時代の帆船にロマンを感じて、心惹かれていました。デビューして間もない頃、どうしても帆船が描きたくて、わざわざ船の出てくる漫画を描いたほどです。

あるとき、友人から「葦船という古代の船で冒険をしている面白い人がいるよ」と、冒険家の石川仁さんを紹介してもらったんですね。1999年のことです。彼は当時、南米ペルーで葦船を使った太平洋実験航海のプロジェクトに参加していました。葦船は人類の歴史上で最古の船と言われていて、色々とお話を聞いていると面白そうだなと。

2002年、実験航海を終えて日本で活動を始めた石川さんを支援するようになり、本格的に葦船に関わり始めました。2003年に京都で開催された世界水フォーラムに葦船で参加するお話があり、そのとき初めて石川さんに教えてもらって、友人たちと一緒に葦船を作りました。その後、大阪を拠点に親子で一緒に葦船を作って自然の中で遊ぶ、葦船教室などの活動を続けています。
(道頓堀合同慰霊祭のために制作された葦船 湊町リバープレイス・ウッドデッキにて)
約15年と、長く葦船に関わっておられますね。
葦船の魅力は、どこにあるのでしょう?
これはもう、好きだからとしか言いようがありません。「なぜ漫画家になったのですか?」と聞かれて、「漫画を描くのが好きだから」と答えるのと同じで、理屈ではないんです。

葦船の面白さは、水辺に生えている葦を刈ってロープで束ねるだけで船ができるところ。古代、木を削って作る丸太船もありましたが、道具が十分に普及していなかった時代、葦を使った船なら庶民でも簡単に作れますよね。子どもから大人まで、村中の人々が集まって葦船を作り、自由に川を行き来していた。そう考えるとロマンを感じませんか?

古事記の中にも、イザナギとイザナミの最初の子どもを葦船に乗せて流したという記述がありますから、少なくとも古代の日本では、葦船は一般的な乗り物だったのではないかと思います。
最近は葦船をご神事にも使われていますが、
葦船を使ったご神事についてお聞かせください。
葦船を初めてご神事に使ったのは、東日本大震災の翌年です。一周忌に、ボランティアとして何ができるだろうと考えたとき、生き残った方への支援はたくさんありますが、亡くなられた方への支援は少ないのですね。亡くなった方々をご供養しようと、津波で大きな被害を受けた宮城県の中野小学校で、2012年の3.11に葦船を精霊船に見立てて慰霊祭をしました。

2013年は20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮と、60年に一度の出雲大社の大遷宮が重なる特別な年でしたので、アマテラス〈天津神〉とスサノオ〈国津神〉の大和合として葦船神事を企画しました。伊勢と出雲を結ぶ線上にある枚岡(ひらおか)神社*の中東宮司にご協力いただき、伊勢と出雲と河内の葦で葦船を作って、両社の地で日本再生を祈願しました。

2015年、大阪にエンターテイナーの育成やライブイベントを行う「アカルスタジオ」をオープンしたのですが、ちょうどその年、友人がある記事を送ってくれて。心斎橋・弘昌寺の鳥居住職が、道頓堀開削400年を機に道頓堀合同慰霊祭を企画されるというものでした。道頓堀川は400年前の掘削工事に従事したキリシタンの方がたくさん亡くなっていますし、大阪夏の陣でも数々の人が命を落とし、たくさんの魂が沈んでいるのですね。

仏教、キリスト教、神道、宗教の枠を超えた合同慰霊祭という主旨が、私の中でとてもしっくりきて、協力させていただくことになりました。今年の第2回合同慰霊祭*でも、人間国宝の梅若玄祥さんをはじめ、さまざまな分野の芸術家の方がご奉仕の心で集まって下さいました。

*大阪府東大阪市にある神社。生駒山麓に位置する河内国一之宮。創建は古く、約2700年の歴史を持つ。
*2016年11月開催
(梅若玄祥さんの能舞奉納「祈り-アヴェマリア」 道頓堀合同慰霊祭にて)
宗教の枠を超えた「祈り」、とてもわかるような気がします。
私たちは、お盆はお墓を掃除して、クリスマスはケーキを食べて、お正月は神社で手を合わせますよね。それでいいと思うんです。日本人は信仰心が厚いのですね。たとえば縄文時代、古代の人々は太陽や月を崇拝し、木や滝、森の中の精霊など、自然のすべてに生命エネルギーを感じ、自然を敬いながら暮らしていました。それは宗教宗派ではなく信仰心です。

合同慰霊祭では、仏教の僧侶と神道の神職、キリスト教の神父らが同じ船に乗り、道頓堀川を3往復しながら川の上で祈りを捧げます。宗派の枠を超えて、信仰心のある方々が一つの船に乗って亡くなった魂を供養する。これはとても素晴らしいことだと思います。

船上での祈りの間、私たちは陸上、湊町リバープレイスの葦船の祭壇前で芸能奉納をします。もともと、芸能の源は神前から始まっていますので。歌や踊りや音楽、祈りの声や想いはすべてバイブレーションとして、亡くなった方々の御霊(みたま)に繋がり、ご供養させていただけると考えています。

実はこれまで、取材も兼ねて日本の聖地・霊地を5000カ所くらい巡っているんですね。日本には地球の放つ生命エネルギーを発信している場所がたくさんあって、実際にその場所に立つと、ダイレクトにその土地のエネルギーを感じることができます。聖地を巡るうちに、次第に私自身が祈りやご神事の大切さを感じるようになりました。
聖地・霊地を5000カ所とは、すごい数ですね。
1985年、初めて鞍馬山に行ったとき、お堂の前のベンチに座っていると、ふっと身体が軽くなるような気持ちよさを感じて。そのとき大地から、らせん状の渦(うず)がいくつも上がっているのが、実際には見えないけれど感覚として見えたんですね。瞬間的に「あ、このらせん状の渦は、鞍馬山の生物や植物を育てているエネルギーだ」と思いました。

地球の中心から、あらゆる生命を育てるエネルギーが出ている。だから、蔦は渦を巻くし、竜巻や台風、自然界のさまざまなものが渦を巻いている。人間の指、指紋も、頭のてっぺんも渦を巻いていますよね。渦は生命の基本で、そのエネルギーを強く感じる場所が聖地だと、私は思っています。

聖地を巡っていると、手を合わせたとき身体がふわっと舞うような場所がたくさんあるのですね。私は、「舞」はここから始まったのではないかと考えています。人に見せるものではなく、大地のエネルギーを感じて身体が自然に揺れる感覚。そこに振りがついて、人に見せる舞踊としての「舞」になったのではないかな、と。
自然界のエネルギーや舞のお話をお伺いしていると、『ガラスの仮面』の中の劇中劇「紅天女(くれないてんにょ)」を思い出します。「紅天女」の人と神、自然という世界観にとても心惹かれるのですが。
1975年、連載を始めた当初は、「紅天女」をこれほど深く書きこむと思っていませんでした。最初、ぽんと一枚の絵が浮かんだのですね。しだれ桜のような古木と女性で、女性の姿や衣装は鎌倉か室町、南北朝あたり。桜では平凡なので、“千年の梅の木の精霊の女神の話”にしようと、大まかな設定だけが決まっていました。

「紅天女」は、不思議なエピソードがたくさんあるんです。1985年、初めて奈良の天河神社を訪れたのですが、境内に入った瞬間「あ、ここを紅天女のふるさとにしよう」と。あとで調べてみると、そこは南北朝の南朝の宮跡だったことがわかりました。

実際に「紅天女」の章に入ってからは、イメージ通りの紅天女の絵が描けず、なかなか筆が進まない時期がありました。そんな折、阪神・淡路大震災で被災した神戸・灘の「大黒正宗」という260年以上続く蔵元の奥さまとご縁ができて、復興の協力に「紅天女」という名前のお酒を作ることになったのです。その昔、酒蔵の庭に梅の古木があり、お会いしたとき、たまたま前日にアルバムから出てきたという古いお庭の写真を見せていただきました。写真の中に観音様のようなお姿の梅の古木があり、それまで何度デッサンしても納得できなかった紅天女のイメージにぴたりと重なりました。

「紅天女」に関しては、自分で考えた物語の世界と現実が重なるような、とても偶然と思えない出来事がたくさんあって。まるでレールを敷かれるようにさまざまな場所で気づきが起こり、意識が変わり、「紅天女」の世界が深くなっていきました。

結末は20年ほど前から決まっているのに、なかなか先に進まない。そういうときは、何か人生の待ち時間みたいなものかもしれませんね。作品は自分で生み出しているつもりが、時の流れも合わせて大きな流れの中で書かされている。何か大きな天のプログラムがあって、そのプログラム通りに進行しているような気がします(長く続きをお待ちいただいている読者の方には、怒られるかもしれませんが・・・・・・)。

紅天女が精霊の女神だとしたら、今の地球を憂いているでしょうし、自然破壊など人間の愚かな行いを嘆いているでしょう。私たちが、どれだけ恵まれた環境の中で命を育んでいるか。私自身が各地の聖地を巡りながら感じてきたことが、紅天女の物語に繋がっているように思います。
人生の大きな流れ、天のプログラム、とても深い言葉です。
美内さんにとっての「祈り」「神さま」とは、どのようなものでしょうか?
人によって、それぞれ「祈り」の解釈は違うかもしれませんが、私は祈りの「い」は意思の意、「のり」はそれに乗っかる。つまり神さまの意、お心に同調するものと思っています。たとえば、あらゆる生命を生み出し育てている母なる神さまがいたとして、世界中の人間が争っていたら、親ならきっと嘆くでしょう。

「世界人類が平和でありますように」という祈りの中には、大いなる命の神の大愛があると感じています。祈ることで母なる神と波長を合わせ、神さまの意思に意識を合わせる。ちょっと表現が難しいのですが、宗教ではないのです。母なる神というのは生命の源で、私たちはその大きな愛によって生かされている。簡単に言えば、「太陽さん、ありがとう」とか、生かされているすべてのものに感謝する心ですね。

私が子どもの頃、大阪の下町で父が床屋をしていたのですが、一日の始まりは父が玄関に出て、太陽に対してパンパンと柏手(かしわで)を打つんですね。わが家だけでなく、近所のあちこちから柏手が聞こえていました。それは商売繁盛を祈っているわけではなく、今日も一日ありがとうございますという感謝。子どもの頃、そういう光景は当たり前でした。太陽は一つの象徴ですが、生かされていることに対する大きな感謝が祈りの原点だと思っています。
(柳田順子さんのキャンドルアート 道頓堀合同慰霊祭にて)
漫画家としての活動もあると思いますが、今後、取り組んでいきたいことなどがあれば、お教えください。
ひとつは“紅天女基金”のようなものを作って、環境のために何かお役に立てたら、と考えています。多くの方々と一緒に、私たち人間が破壊した自然を元に戻すために何かできればいいなと。

もう一つは、日本各地の大事な聖地・霊地をお祀りするネットワークを作りたいと思っています。聖地は、地球上のあらゆる生命を育てる源になっているところ。宗教や政治や権力に関係なく、地球が内側からエネルギーを発している場所です。そのエネルギーで動植物が育っていますし、当然、人間も生物ですから、聖地に足を運ぶと気持ちがいいのですね。

神さまって理屈ではわからない、感じるしかないんです。ご神域と言われる場所は、そこに足を運んだとき、全身で感じるものがありますから、それをどう理解するか。神さまを知るには感覚を研ぎ澄ませて、ご神氣にふれて感動することから始まります。

古代の人々は聖なる気配を感じると、その空間そのものを大事にお祀りしてきました。今は皆さん、スピリチュアル的にも意識が高くなっていますから、各地で中心になってくれる方々と一緒に、全国の聖地・霊地をみんなで守っていきたいと考えています。
少女漫画界の巨匠、美内すずえさん。
実際にお会いしてみると気さくなお人柄に加えて、どこか少女のような一面も。予定時間をオーバーして、さまざまに興味深いお話を聞かせていただきました。

なかでも、私が個人的にとても心動かされたのが「天のプログラム」という言葉。
一人ひとりに用意された「天のプログラム」、それはきっと“その人生がよき方向に向かうよう”神さまが配慮されたものに違いありません。

人生で起きる出来事はすべてに意味があり、自分にとって必要な経験としてあらかじめプログラムされている。そう考えれば、惑うことなく迷うことなく、日々の暮らしや時間、出会う人すべてに真摯に向き合うことができそうです。

人生は、何か目に見えない大きなものに導かれている。
目に見えないものを信じること、祈ることで、私たちはより謙虚に、より強く“自分の人生”に確かな信頼感を持てるような気がしました。

後日、原稿確認と修正の打ち合わせのお電話の際、「天のプログラムの部分の最後に、『長く続きをお待ちいただいている読者の方には、怒られるかもしれませんが』と、一行足してもらえますか?」とリクエストが入りました。「だって、読者の方に申し訳ないでしょう。こんな理由でお待ちいただいて・・・・・・」

読者を大切にされる思い、人生の流れの中で心に触れるものや自身の時間感覚を信じて物語を紡いでゆく姿勢、創作者としての大事な心得を学ばせていただいたような今回の取材でした。『ガラスの仮面』の今後を、ファンの方々とともに、ゆっくり楽しみに待ちたいと思います。
(取材:2016年11月)
美内すずえさん(漫画家)
1951年生まれ、大阪市出身。16歳で漫画家としてデビュー。1976年にスタートした『ガラスの仮面』(白泉社)は、今なお連載が続く少女漫画界の大ベストセラー。各界から絶大な支持を受け、舞台やテレビドラマ、アニメにもなっている。2015年より、大阪市内でエンターテイナーの育成や舞台・ライブイベントを行う「アカルスタジオ」を主宰。

アカルスタジオ
「感動」を創造発信し、街や人をアカルく元気にするプロジェクト。アカル劇場としてさまざまな公演やライブイベントを行うかたわら、オリジナルメソッドで舞台表現やエンタテイメントを学ぶアカル塾で若い才能を育成している。また、アカル葦船プロジェクトでは、環境植物として大きな役割を持つ川辺の葦を使って舟や笛を制作し、環境問題とエンタテインメントに取り組んでいる。

〒556-0017 大阪市浪速区湊町1-3-1
湊町リバープレイス1F
HP:https://akaru.jp/
地下鉄「なんば」より徒歩約8分。
JR「難波」より徒歩約7分。
中島 未月
五行歌人/詩人

心をテーマにした詩やエッセイ、メッセージブックなどを執筆。 著書は『心が晴れる はれ、ことば』(ゴマブックス)、『だいじょうぶ。の本』『だから優しく、と空が言う』『笑顔のおくりもの』(以上、PHP研究所)など多数。現在、「古代」「祈り」をテーマに、新たなフィールドの物語執筆に向けて準備中。
公式HP:http://nakajimamizuki.com/
『あなたに、会えてよかった』
文・中島未月/写真・HABU/PHPエディターズ・グループ
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