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[シネマトークレポート]映画宣伝プロデューサー 松井寛子さん
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[シネマトークレポート]映画宣伝プロデューサー 松井寛子さん

『映画宣伝の”あれこれ”を語る』
2017年11月20日に開催したシネマトークのゲストは、映画宣伝プロデューサーである松井寛子さん。長い間、関西の映画業界に携わってこられたお二人が語る関西映画宣伝事情の”あれこれ”。果たしてどんなお話が飛び出したのでしょうか?

晴れた日は外に出たい映画宣伝プロデューサー

気さくな大阪のおばちゃんといった雰囲気でハツラツと自己紹介を始める松井寛子さん。休日は完全に映画のことを忘れて、散歩やお寺めぐり、展覧会などに行かれるそうです。大阪は映画ファンが少ないことを実感されていて、映画宣伝で重要なのは“口コミ”だと仰います。
その例として松井さんが挙げたのは、2017年のドキュメンタリーの大ヒット作品『人生フルーツ』(監督:伏原健之)。元建築家の老夫婦が自然と共に生きる生活を描いた作品で、好評につきアンコール上映が始まる映画館もあり大ヒットとなりました。
その例として松井さんが挙げたのは、2017年のドキュメンタリーの大ヒット作品『人生フルーツ』(監督:伏原健之)。元建築家の老夫婦が自然と共に生きる生活を描いた作品で、好評につきアンコール上映が始まる映画館もあり大ヒットとなりました。

『人生フルーツ』は幅広い年代の男女に関心を持たれ、大ヒットとなりました。一方、男性は一人で映画館に行く方が多いようで、男性向けの映画はなかなか動員に結びつかないそうです。ところがそうしたセオリーを破ったのが2016年に公開された『ヤクザと憲法』(監督:土方宏史)という作品です。
この映画は、大阪の指定暴力団事務所に入り込んで撮影された、東海テレビドキュメンタリー劇場第8弾の作品。男性客だけでなく女性やカップルなど意外な動員に結びつき、これも大ヒットとなりました。実はヤクザや警察も劇場に観に来ていたと言う裏話も。
この映画は、大阪の指定暴力団事務所に入り込んで撮影された、東海テレビドキュメンタリー劇場第8弾の作品。男性客だけでなく女性やカップルなど意外な動員に結びつき、これも大ヒットとなりました。実はヤクザや警察も劇場に観に来ていたと言う裏話も。

そして「映画はやっぱり映画館で観てほしい。家のテレビで見るのと、映画館のスクリーンで観るのとでは、集中力が全然違う!」と熱っぽく語る松井さんでした。

映画ではなく“人”に変えられた松井さんの人生
岸野さんから「人生を変えた映画を挙げてもらえますか?」と質問を受けた松井さん。「それが無いんです」という意外な答えが。

だからこそ若い人には、いい作家と出会うようにとアドバイスされるそうです。
ところで、映画宣伝に携わるお二人ですが、松井さんの肩書きは“映画宣伝プロデューサー”。岸野さんは“映画パブリシスト”という肩書き。この違いについてお話いただきました。
松井さんは、一つの配給会社と長い付き合いがあり、自分の名前が出なくても、企画段階から作品に関わることがあるためこの肩書きを使っているとか。作品を編集の段階で見せてもらうこともあり、この作品はこの媒体が向いているとアドバイスをすることもあるそうです。
ところで、映画宣伝に携わるお二人ですが、松井さんの肩書きは“映画宣伝プロデューサー”。岸野さんは“映画パブリシスト”という肩書き。この違いについてお話いただきました。
松井さんは、一つの配給会社と長い付き合いがあり、自分の名前が出なくても、企画段階から作品に関わることがあるためこの肩書きを使っているとか。作品を編集の段階で見せてもらうこともあり、この作品はこの媒体が向いているとアドバイスをすることもあるそうです。

一方、岸野さんは、もともと全大阪映画サークル協議会の事務局に勤めておられましたが、1989年に退職しフリーに。当時は大阪にもミニシアターが開設しはじめましたが、まだ関西に配給会社の支社が無い時代でした。そこで、関西での上映時に宣伝する人がいないという事情と、映画宣伝の仕事に興味があった岸野さんの希望がぴたりと一致。

最初は北浜の三越劇場を中心に映画の宣伝に取り組まれた岸野さん。

宣伝の相談を受けた当時、日本語字幕も入り、公開の準備が整っていたにも関わらず、配給会社側は、観客が来てくれるかどうか確信が持てない状況だったそうです。しかし絶対入るという予感がした岸野さん。
“これは賭けてもいい映画”だと、岸野さんも出資し共同配給として上映したところ大ヒット。その後もフランス映画の上映で多くのファンを集めた三越劇場でしたが、阪神淡路大震災を機に休館し、1995年に閉館となりました。
現在、アジア圏の映画宣伝に携わることが多い岸野さんですが、個人的には、ヨーロッパ映画の、冷たく人を突き放すような救いのない映画が好きとのこと。
“これは賭けてもいい映画”だと、岸野さんも出資し共同配給として上映したところ大ヒット。その後もフランス映画の上映で多くのファンを集めた三越劇場でしたが、阪神淡路大震災を機に休館し、1995年に閉館となりました。
現在、アジア圏の映画宣伝に携わることが多い岸野さんですが、個人的には、ヨーロッパ映画の、冷たく人を突き放すような救いのない映画が好きとのこと。

一方松井さんは、小川プロダクションの『ニッポン国古屋敷村』(監督:小川紳介)や、土本典明監督作品など、多くのドキュメンタリー映画に関わってこられました。
現在、大型の劇場で上映される映画は、ほとんどオリジナル作品がなくなっています。漫画原作やスターの出演を前提とした企画、製作委員会を作ってリスク分散をするといった、メジャー映画の状況を横目に、松井さんはドキュメンタリーや作家性の強い映画にこだわります。
現在、大型の劇場で上映される映画は、ほとんどオリジナル作品がなくなっています。漫画原作やスターの出演を前提とした企画、製作委員会を作ってリスク分散をするといった、メジャー映画の状況を横目に、松井さんはドキュメンタリーや作家性の強い映画にこだわります。


取り組む意義がある作品に惚れ込む
自身が手掛ける映画のこだわりについて岸野さんは、入らないとわかっていても、上映する意義があると思える映画が好きだと仰います。動員が少ないと読むならそれに見合う形で上映すべきだと。

それが結果的に入れば良しだけど、大ヒットしなかったとしても、映画に反応してくれた人がいることが、人にとって大きな知的財産だと思うんです。それはお金には変えられないから、ついつい入らないほうに(笑)
松井さんも同感で、

それを受けて、司会の千葉さんは、

企業の経営者が出す本では、社長の裸一貫出世物語では自慢話にしかならないので、伝えたいことを聞き、素材をどのように料理するかがポイントだそう。自分が惚れ込んだ人には時間もお金も費やしたいと話す千葉さん。そのマインドは松井さん、岸野さんとも共通するようです。

恩人の介護のために作った「風まかせ」
松井さんは現在、居酒屋「風まかせ」を運営されています。そのきっかけは映画の宣伝のためではなく、『サード』(監督:東陽一)のプロデューサーである前田勝弘さんが脳梗塞で倒れ、その介護のために始められました。

前田さんが脳梗塞で倒れた時、家族も離れていて見る人がいない状態でした。今と違って介護保険もなく社会全体で支えるものという意識がなかった時代。そんな時、松井さんが観た映画が『ある老女の物語』(監督:ポール・コックス)。政府が自宅介護の支援を積極的に行っているオーストラリアを舞台にした看護師と一人暮らしの老女との物語でした。

前田さんを迎えるために、本を読んで学習し、友達の力を借りて実践しつつ介護に当たった松井さん。

居酒屋「風まかせ」では2001年から月一回、映画の会を行っています。先にお題になる映画を決めて、その映画をどう思うか、10~15人ほどの集まったお客さんで意見をぶつけ合います。

底抜けに明るい松井さんの人柄がたくさんのお客さんを惹きつける様子が見えるようです。

女性の社会進出とミニシアターの関係
お二人は実は70年代に中之島公会堂で行われた『女ならやってみな』(監督:メッテ・クヌッセン)というデンマーク映画の自主上映に一緒に携わっています。
当時沸き上がったフェミニズム運動、その頃の日本では「ウーマンリブ」と呼ばれていましたが、女性達が自分たちの視点で観る映画の上映をやろうという企画のひとつで、普段男の人が行っている役割を逆転させてみたらという発想の映画でした。全国で自主上映会が行われ、お二人は大阪上映の実行委員会を一緒にされたそうです。
岸野さんが映画サークルの事務局を辞めてフリーになった後、映画ライターも考えられたそうですが、あまり需要が無かったため、関西の松竹系の洋画専門の子会社である松竹富士にアルバイトで入ることとなりました。当時の松竹富士の宣伝部は男性ばかり。そこに来たのが『赤毛のアン』(監督:ケヴィン・サリヴァン)でした。
当時沸き上がったフェミニズム運動、その頃の日本では「ウーマンリブ」と呼ばれていましたが、女性達が自分たちの視点で観る映画の上映をやろうという企画のひとつで、普段男の人が行っている役割を逆転させてみたらという発想の映画でした。全国で自主上映会が行われ、お二人は大阪上映の実行委員会を一緒にされたそうです。
岸野さんが映画サークルの事務局を辞めてフリーになった後、映画ライターも考えられたそうですが、あまり需要が無かったため、関西の松竹系の洋画専門の子会社である松竹富士にアルバイトで入ることとなりました。当時の松竹富士の宣伝部は男性ばかり。そこに来たのが『赤毛のアン』(監督:ケヴィン・サリヴァン)でした。


今は女性の映画監督がいっぱいいるけど、当時は羽田澄子さんとか松井久子さんとか、女性監督っていうだけで売りになってたしね。

積極的にそうしたセレクトを行ったのが、東京・六本木にあった俳優座シネマテン。イギリス系の美青年映画のブームになった『アナザー・カントリー』(監督:マレク・カニエフスカ)のコリン・ファース、ヒュー・グラント、ルパート・エベレットといった、当時の映画ファンには懐かしい名前が挙がります。
『ベニスに死す』(監督:ルキノ・ビスコンティ)は、美少年ビョルン・アンドレセンを明治のチョコレートのタイアップCMに起用し宣伝するも、大阪では梅田東映パラスで上映し一週間で打ち切られました。
『ベニスに死す』(監督:ルキノ・ビスコンティ)は、美少年ビョルン・アンドレセンを明治のチョコレートのタイアップCMに起用し宣伝するも、大阪では梅田東映パラスで上映し一週間で打ち切られました。

当時公開されたのは圧倒的にハリウッド映画が多くて、あとはせいぜいフランス映画だったんですけど、いわゆるニッチ、隙間的な部分を考えながらやる仕事に女性がうまくフィットしたっていうか。結局は大きな仕事よりも、そういうしんどい細かい仕事を女性がやらされて来たとも言えますが、そういう所で生きて来ました。
現在は関西でもミニシアターはほとんど支配人は女性ですよね。元々こういう職業がありますって就いた訳ではなくて、自分らで作ってるようなところがありますね。
その後約30年間の日本社会の変遷について千葉さんが言及します。

就職して3年後に男女機会均等法が施行されたので、お給料も上がりましたね。女性も就職してたくさん稼ぐようになったから、デートで男の子に奢ってもらわなくても、映画に行ったり飲みに行ったりできるようになってきましたから、ミニシアター増加には、そういう社会の動きも背景にあるのかな、なんて思いますね。

“苦労は忘れて楽しむ” 松井さん流映画宣伝術
宣伝に当たって苦労した思い出を伺うと、

最近印象に残った作品は?

同映画は東京で大ヒットとなりましたが、大阪公開にあたり、事務的な手続きだけでなく、大阪府警への対策を考えた松井さん。

『ザ・コーヴ』(監督:ルイ・シホヨス) の時もTVカメラが来てくれはったんですが、反対派の妨害もなくカメラが帰るぐらいで。そういったことは時々あるんですけど、それはそれで結構楽しいですね。私の中では(笑)

映画は国境を越えるか?岸野さんの挑戦
岸野さんの苦労の思い出は、2016年に配給を引き受けられた映画『でんげい わたしたちの青春』(監督:チョン・ソンホ)。建国高校の伝統芸術部が、文化のインターハイと言われている全国高等学校総合文化祭に出場する姿を追った映画ドキュメンタリーです。
大阪アジアン映画祭で作品を観て、監督さんと会った際に「とても良い映画ですね。日本公開できるといいですね」って伝えたところ、後日配給して欲しいという話が来たといいます。配給のお金は要らないから、日本語字幕をやり直して、宣伝のためにポスターやチラシや作ったりする初期費用は出して欲しい。回収出来て利益が出たら折半しましょう、と言う条件でした。
大阪アジアン映画祭で作品を観て、監督さんと会った際に「とても良い映画ですね。日本公開できるといいですね」って伝えたところ、後日配給して欲しいという話が来たといいます。配給のお金は要らないから、日本語字幕をやり直して、宣伝のためにポスターやチラシや作ったりする初期費用は出して欲しい。回収出来て利益が出たら折半しましょう、と言う条件でした。

作品自体はドキュメンタリーですけど、いわゆる王道の青春映画で、一つの大会に向けてみんながんばるっていう。メジャー作品の『チア☆ダン』(監督:河合勇人)とか『スイングガールズ』(監督:矢口史靖)なんかと変わらない映画なんです。
観てもらえたら、絶対好きになってくれる自信はあるし、もう一つはそういう南北の壁を一つでも乗り越えて欲しいなって思いもあって。やはりみんなに見せる意義はある映画の方に肩入れしてしまいますね(笑)
松井さん、岸野さんの映画に対する熱い思いと、関西の映画宣伝事情を駆け足で振り返ったシネマトーク。スマホやPCで簡単に映画が観られるようになった今日、映画はもう特別な“体験”足り得ないのでしょうか?
そんなことはありません。スクリーンを前に体験した感想を劇場で直接制作者と話したり、松井さんの「風まかせ」のような場や、このシネマトークのような出会いの場で、観客同士が顔を合わせて語り合うことで、その体験は何倍にも広がっていきます。みなさんもとっておきの映画体験を求めて映画館に出かけてはいかがでしょうか。
そんなことはありません。スクリーンを前に体験した感想を劇場で直接制作者と話したり、松井さんの「風まかせ」のような場や、このシネマトークのような出会いの場で、観客同士が顔を合わせて語り合うことで、その体験は何倍にも広がっていきます。みなさんもとっておきの映画体験を求めて映画館に出かけてはいかがでしょうか。


ゲストプロフィール

松井 寛子さん
洋邦画、劇映画、中でもドキュメンタリー映画の宣伝は、土本典昭監督、小川紳助監督はじめ、原一男監督の「ゆきゆきて神軍」など数多い。最近では「人生フルーツ」「おクジラさま ふたつの正義の物語」。ほとんどのドキュメンタリー映画監督の劇場公開された一作目から宣伝に携わる。また、居酒屋を友人と共同経営している。MC

岸野令子
映画パブリシスト/有限会社キノ・キネマ代表。主にミニシアター向け映画の宣伝・配給担当。 FB: reiko.kishino

千葉 潮
合同会社メディアイランド代表。女性と子ども応援を理念に、教育、教材、一般書の発行、編集サービスを行なう。http://www.mediaisland.co.jp/レポーター

松田洋子
(デューイ松田)
小学4年生の頃、叔母に連れられて『ゾンビ』『オーメン2』の2本立てを観たことからジャンル映画に魅せられる。アニメーター、イラストレーターを経て、2009年より「デューイ松田」名義で映画関係のフリーライターとして活動。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭、プチョン国際ファンタスティック映画祭、CO2の取材記事や大阪アジアン映画祭の記録撮影など。(デューイ松田)
■シネマカフェ 記事一覧
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2018年1月は大阪アジアン映画祭広報担当、音居あやさんをお迎えしました
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2017年11月は映画宣伝プロデューサーの松井寛子さんをゲストにお迎えしました
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2017年9月は大阪・ミナミにあるミニシアター「シネマート心斎橋」支配人、横田陽子さんをゲストにお迎えしました
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2017年7月は神戸・元町商店街にあるミニシアター「元町映画館」支配人、林 未来さんをお招きしました
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2017年5月は大阪九条のミニシアター「シネ・ヌーヴォ」支配人、山崎紀子さんをゲストにお迎えしました