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藤田 由布
婦人科医 レディース&ARTクリニック サンタクルス ザ ウメダ

婦人科医が言いたいこと 医療・ヘルシーライフ 2023-02-09
女32歳、ヨーロッパの医学部に入学
その⑤〜3年生の時に東日本大震災〜

勉強ばかりの生活だった私は、部活も課外活動もせず、医学部内の友達との交流も最小限だった。

あまりにも単調なガリ勉生活で孤独に見えたせいだろうか、3年生の時に学校の事務スタッフから「あなたのバックグラウンドだったら、うちの大学の国際救援部に興味あるんじゃない?」と言われた。

そんなものがあるのか?!是非とも参加したい、と答えてすぐに国際救援部の責任者の元へ行った。
国際救援部「DEKOM」
デブレツェン大学医学部の国際救援部の代表は、小児外科医のアンドラッシュという若い男性だった。

ややぶっきらぼうに、「なにか用?今、忙しいんだよ」と言って、ずいぶんと待たされた。

この国際救援部はDEKOM(デコム)というチーム名で、日頃から災害時救援の訓練や救急救命の実践を訓練しており、実際にハイチやミャンマーやパキスタンで救援活動をしたり、アフリカでも活動歴があった。

また、ハンガリー国内の貧困地へ物資を供給したり、障がい者施設への支援もしているとうから、なんとも頼もしいチームだ。

アンドラッシュ先生は、見知らぬ日本人学生の私に「へー、興味あるんだ。それなら一度俺たちの訓練に来いよ」と。

※毎年行われている災害救援訓練では模擬患者で本番さながらの救援活動のシミュレーションを行う
急きょ、災害訓練に参加
アンドラッシュ先生が「来週に郊外で災害訓練するから、一緒においでよ」と突然のお誘い。嬉しくて仕方なかった。ぶっきらぼうな態度とは裏腹、アンドラッシュ先生はDEKOMのイベントがあるごとに私を誘ってくれたのだ。

この災害訓練というのは、大学の経費で賄われているので、参加者の学生らは全員無料だった。しかも、1泊2日の泊まりがけ訓練で、食事も寝どころも全て用意してもらえた。

参加していたのはハンガリー人の医学生ら20名ほどで、リーダーは6年生のチャバ君。チャバ君はアンドラッシュ先生の子分のような存在で、彼自身も将来は国際救援で活躍したいと夢を持つ活発な学生で、みるからに優等生。

その優等生チャバ君は、この泊まりがけキャンプに彼女を連れてきていた。彼女は医学生でもなんでもない綺麗な子だった。

訓練は郊外のキャンプ場で行われ、いくつかの自家用車に乗り分け、途中で食料を山のように調達し、皆んなでワイワイしながら、まるで修学旅行のようだった。

※山岳地帯での救援救護訓練。何故ガスマスクをつけたか未だに分からない

※山岳地帯での負傷者を救助して搬送する訓練
参加したのは全てハンガリー人で、全てハンガリー語だったので、皆んなが代わる代わる私に英語で通訳をしてくれた。

※1人ずつ高台から降下する訓練まであった

※車両事故の際の救助方法は勉強になった

※夜間の山岳救助は本番さながらチャバ君の彼女が患者の役をしていた
夜まで訓練はつづいた。

チャバ君の彼女が被災者役となり、山岳で倒れている彼女を救助隊で助けるというシチュエーション。チャバ君は鼻息荒く真剣な顔をしていた。まじめに演技をしているのだ。

彼女も「痛い、痛い」と演技をしている。チャバ君は「待ってろ、今助けるからな」と言って、彼女にそっとキスをした。私はちょっと笑いを堪えながら、2人の世界を見守った。

彼女を担架に乗せ、山岳地帯を皆んなで運ぶ。足を滑らせると崖から落ちてしまうような危ない崖道をロープに捕まりながら皆んなで彼女を搬送する。山岳地をざっと20分間は歩いた。

チャバ君はずっと彼女に「大丈夫か!」と声をかけながら、ずっと演技している。ゴールに着いてら、またも2人の熱いキスが皆んなの前で繰り広げられた。

私らは何に付き合わされているんだ、と思ったのは私だけだったのだろうか。

※ハンガリー料理はパプリカが必須
20人の医学生とスタッフ5名分の食事の準備は学生らで行った。大量の食事を一気に作るので、ちから仕事だった。ハンガリーはこういう時に男性が率先して行う。感心だ。

※救助犬の指揮の方法も学んだ。愛嬌のある3匹の大型犬はただただ可愛かった。
朝に珍事が起こった。

救助犬の訓練も専門スタッフから教わった。お利口な犬だったが、夜の間に私たちの朝ごはん用に準備していた食料を全て食べてしまっていたのだ。

朝ごはんはパンのみとなった。

※DEKOMチームのスタッフから救命救急の訓練を受ける
盛りだくさんの災害訓練は良い経験だった。学期間のよい気晴らしにもなった。
障がい者施設を訪問

※クラウンドクター(道化師ドクター)を伴って施設訪問
デブレツェン大学の国際救援部「DEKOM」の活動は多岐に渡っていた。

郊外の貧困地に物資を届けたり、貧困層の家庭の訪問診察を行ったり、たくさんの学校に出向いて救命救急の訓練をしたり、アンドラッシュ先生はDEKOMチームを引き連れて精力的に活動をしていた。

そんな時には必ず子分のチャバ君がアンドラッシュ先生の手足となって活動を支えていた。

※郊外に食料物資を運んでいる

※障がい者施設ではクラウンドクターのショーが子供たちに笑顔を届ける
DEKOMチームに所属する先生たちは皆んな誇らしげで、正義感に満ち溢れたスタッフばかりだった。

アンドラッシュ先生は、世界のどこかで災害が起きたらいつでも駆けつけれる準備がある、と言って常に士気が高かった。
デブレツェン最大のお祭り「フラワー・カーニバル」
毎年、ハンガリーの建国記念日の8月20日には、デブレツェン最大のお祭り「フラワー・カーニバル」が開催される。

盛大に花火があがり、コンサートには町中の人が集まり大賑わいとなる。最大の見どころは、20台くらいの巨大な山車が盛大に花で飾られ、鼓笛隊と一緒に街を巡る花山車パレードだ。

山車に乗せられた巨大なフラワーアレンジメントは、歴史的な出来事や伝説のヒーローなどをテーマにしていて、何台かのフラワーアレンジされた山車は海外から参加している。
友達が少なかった私に、私たちに解剖学を教えていた大学院生のカティが「一度は見ておくべきよ」といって私を誘ってくれた。カティは、カティのお母さんとお母さんの彼氏と一緒に行く予定で、私も一緒に行こうと提案してくれたのだ。

私は飛び上がる思いだった。住んでいる街の最大のお祭りには一度は行きたいと思っていたし、夏休み中だったので、勉強のことを忘れられる猶予期間だった。

すごく楽しかったし、盛大な花火が感動的だった。

※カティは神経内科の大学院生で解剖学の授業で先生をしていた
カティはとてもまじめな先生だった。カティは私のホームパーティの常連で、本音で話してくれるから面白かった。

カティは脳神経を専攻していた大学院生で、アルバイトで1〜2年生の解剖学を教えていた。若い女性の先生なので学生からは少し舐められていたが、「私はイスラエル人学生の偉そうな態度があまり好きじゃなわ」と言って、学生に対して厳しい態度で頑張って教えていた。

カティはいつも「いつか海外に渡って、もっと豊かな暮らしがしたい」と言っていた。数年後に彼女はアメリカに留学し、アメリカ人弁護士と結婚して今はニューヨークで豊かで幸せな暮らしをしている。
3年生の時に「東日本大震災」
2011年3月11日、DEKOMのアンドラッシュ先生からの電話で起きた。

朝の10時を回っていた。私は休日だったので目覚ましをかけずに眠りこけていた。

「日本で大変なことになっているぞ!俺たちDEKOMはすぐに日本に出発する準備ができている。通訳として君もチームに同行してくれ!」

アンドラッシュ先生の鼻息はいつも以上に荒かった。これまで海外での災害救援は5回以上実績があるチームだ。日本の未曾有の惨事にDEKOMが動かないわけがない。

しかし、その後すぐにまた電話があり、「日本へチームを派遣するルートを探して欲しい」と相談された。

アンドラッシュ先生は在ハンガリー日本大使館にすぐに問い合わせたが、今すぐには現地も対応しきれないから「まだ待ってくれ」と言われたらしい。

※DEKOMのハイチでの救援活動(2010年)
アンドラッシュ先生はどうしても日本の大震災の救援に行きたい様子だった。

福島の第一原発の事故のことも調べていて、ならばと放射線被曝に対応できる専門家も派遣チームにいれていたのだ。

私はJICAの知人の伝手をたどって、DEKOMが救援部隊として現地入りできる方法を探った。JICA関係者が外務省の窓口につなげてくれて、DEKOMがすぐにでもチーム派遣できる旨や海外救援の実績があることなどをプレゼンした。

外務省の担当者からの返答はこうだった。

世界中各国から救援派遣のオファーがあるが、東北の混沌とした状況ではどこの被災地も海外団体を受け入れるだけのキャパがなく、実際には日本国内の各地からの支援でほとんどカバーできる状態である、と。

なるほど至極納得。

東北の田舎町の被災地の役所が、日本語が通じない海外からの援助チームを迎え入れて接待できる余裕などない。被災地の避難所では老人が多く、かってが違う外国の医師が即戦力になり得るとは思えない。しかも、日本国内では、日本の医師免許がない者はたとえ海外の医師でも医療行為をしてはならない。

アンドラッシュ先生の落胆する顔が浮かぶ。

仕方ない。アンドラッシュ先生は相当ねばって大使館に願い入れたらしいが、丁重にお礼を言われて断られたそうだ。納得いかない面持ちだったが、彼は相当日本に行きたそうだった。

※パソコンで日本のライブニュース配信を見ながら被害の大きさを随意メモをとった
外務省の担当者がすまなさそうにメールをくれた。

ハンガリーからの援助派遣の申し出は嬉しかった、と。その担当者の方の父親が昔ハンガリーでとてもよくしてもらった思い出があり、自分にとってもハンガリーは特別な国で、個人的にはハンガリーには是非被災地で活躍してもらいたかった、と言ってくれたのだ。

デブレツェンの医学部では、日本の大災害に対して募金活動がすぐに始まった。いろんな先生からも「家族は大丈夫か?」とか「我々に何かできることはないか?」とたくさん声をかけてもらった。

連日のニュースをずっとパソコンのネット配信で見ていたせいか、私のパソコンのモニターが突然熱くなって壊れてしまった。

ようやく4年次、待ちに待った産婦人科の実習が始まる… そして日本の医師免許はどうしよう… 次号へ続く。
profile
全国で展開する「婦人科漫談セミナー」は100回を超えました。生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期障害は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、HPVワクチンのこと、婦人科のカーテンの向こう側のこと、女性の健康にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。
藤田 由布
婦人科医

大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。

飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。

女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。

⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら
FB:https://www.facebook.com/fujitayu
レディース&ARTクリニック サンタクルス ザ ウメダ 副院長
〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町8-26 NU茶屋町プラス3F
TEL:06-6374-1188(代表)
https://umeda.santacruz.or.jp/

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