丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2016-04-08
丁寧に生きる。移ろいゆく瞬間の美しさ |
日本中が桜色に染まるシーズンがやってきましたね。
これほどまでに、一つの花の開花を心待ちにし、
開花予想日までもニュースで放送する国は日本以外にはないのではないでしょうか。
季節ごとに移りゆく花の美しさの中に、自然のサイクルの力強さを感じられます。
一つのシーズンが終わると、次のシーズンが訪れ、
そしてまた次へと確実に流れていくのですから。
以前、真っ青なカルフォルニアの空を毎日見上げていました。
当時、不思議なことに、一刻一刻と変化するイングランドのグレーの空を、
重い雲の合間から差し込む太陽の光を、
そして季節の変化を思い出しては、雨ですら恋しく思ったものです。
その時、季節の変化を感じることがいかに大切かいうことを知りました。
また、変わりゆく季節に気づき、その美しさを感じられるのは、
その時の心の様子が大きく影響しているということも知りました。
喜びや悲しみ、安定や混乱、私たちは皆、様々なエモーションとともに生き、
それでも季節は確実に変化していきます。
移ろいゆく瞬間の美しさをとらえるため、
先人たちは季節の歌を詠み、絵画に表現しようとしたのではないでしょうか。
心が、自然が、そして花の美しさが決して一点にとどまることなく、
移ろいゆくはかない様子に美を感じたのでしょう。
変化するはかなさを受け入れることは、今の「瞬間」に感謝することかもしれません。
「移ろいゆく瞬間の美しさ」は、19世紀、
フランス印象派の画家たちが追い求めたモチーフでもあります。
そんな印象派を代表するモネの展覧会が京都で開催されています。
(京都市美術館 -2016年5月8日まで)
私はそこで、90点あまりの作品の色、光と影に完全に圧倒されて帰ってきました。
そこでは、モネという巨匠の生涯における作品の中で、
「光の変化」を垣間見ることのできた貴重な機会でもありました。
もし、モネの人生にチャプターがあるとすれば、
「若き日の戦いと希望」、「モチーフを追い求める中年期」、
「ジヴェルニーの庭で見た晩年の光と反射」、と変化に富んだ人生を私たちに見せてくれ、
数々の作品を通して、色彩の変化を見せてくれているのです。
モネのエネルギーに満たされながら、静かでまっすぐな名神高速での帰り道、
うつろいゆく美、はかなさの中にある力強い美しさ、などとぼんやりと思っていました。
それはまるで、モネワールドから現実界にもどるまでの
トランジッションのトンネルのようでもありました。
真のアーティストとは、芸術という媒体により、現実と非現実を結びつけ、
それを観る者、聴く者の中で眠っていた何かを呼び起こし、
もしくはまだ見たことも感じたこともない感性の扉を開けてくれる存在なのだと実感しました。
そこには答えも、言葉も存在しないのです。
時を超え、場所を超え、言葉を超え、アーティストと自分、
自分の中の自分とコネクトできるそんな貴重な体験が美術館にはあるのかもしれません。
今、現実の日々に戻り、桜をはじめとする美しい満開の木々、
庭に芽をだしてきた草花の様子を楽しんでいます。
桜の名所に行かずとも、あらためて、小さな美しさの瞬間に、
そして日々の美しさに気づく心の余裕を忘れないように、とも感じています。
美しい桜の季節に「今、ここに」いることを感謝しながら。
これほどまでに、一つの花の開花を心待ちにし、
開花予想日までもニュースで放送する国は日本以外にはないのではないでしょうか。
季節ごとに移りゆく花の美しさの中に、自然のサイクルの力強さを感じられます。
一つのシーズンが終わると、次のシーズンが訪れ、
そしてまた次へと確実に流れていくのですから。
以前、真っ青なカルフォルニアの空を毎日見上げていました。
当時、不思議なことに、一刻一刻と変化するイングランドのグレーの空を、
重い雲の合間から差し込む太陽の光を、
そして季節の変化を思い出しては、雨ですら恋しく思ったものです。
その時、季節の変化を感じることがいかに大切かいうことを知りました。
また、変わりゆく季節に気づき、その美しさを感じられるのは、
その時の心の様子が大きく影響しているということも知りました。
喜びや悲しみ、安定や混乱、私たちは皆、様々なエモーションとともに生き、
それでも季節は確実に変化していきます。
移ろいゆく瞬間の美しさをとらえるため、
先人たちは季節の歌を詠み、絵画に表現しようとしたのではないでしょうか。
心が、自然が、そして花の美しさが決して一点にとどまることなく、
移ろいゆくはかない様子に美を感じたのでしょう。
変化するはかなさを受け入れることは、今の「瞬間」に感謝することかもしれません。
「移ろいゆく瞬間の美しさ」は、19世紀、
フランス印象派の画家たちが追い求めたモチーフでもあります。
そんな印象派を代表するモネの展覧会が京都で開催されています。
(京都市美術館 -2016年5月8日まで)
私はそこで、90点あまりの作品の色、光と影に完全に圧倒されて帰ってきました。
そこでは、モネという巨匠の生涯における作品の中で、
「光の変化」を垣間見ることのできた貴重な機会でもありました。
もし、モネの人生にチャプターがあるとすれば、
「若き日の戦いと希望」、「モチーフを追い求める中年期」、
「ジヴェルニーの庭で見た晩年の光と反射」、と変化に富んだ人生を私たちに見せてくれ、
数々の作品を通して、色彩の変化を見せてくれているのです。
モネのエネルギーに満たされながら、静かでまっすぐな名神高速での帰り道、
うつろいゆく美、はかなさの中にある力強い美しさ、などとぼんやりと思っていました。
それはまるで、モネワールドから現実界にもどるまでの
トランジッションのトンネルのようでもありました。
真のアーティストとは、芸術という媒体により、現実と非現実を結びつけ、
それを観る者、聴く者の中で眠っていた何かを呼び起こし、
もしくはまだ見たことも感じたこともない感性の扉を開けてくれる存在なのだと実感しました。
そこには答えも、言葉も存在しないのです。
時を超え、場所を超え、言葉を超え、アーティストと自分、
自分の中の自分とコネクトできるそんな貴重な体験が美術館にはあるのかもしれません。
今、現実の日々に戻り、桜をはじめとする美しい満開の木々、
庭に芽をだしてきた草花の様子を楽しんでいます。
桜の名所に行かずとも、あらためて、小さな美しさの瞬間に、
そして日々の美しさに気づく心の余裕を忘れないように、とも感じています。
美しい桜の季節に「今、ここに」いることを感謝しながら。
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