藤田 由布 産婦人科医 レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、女性にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。 |
秋田大学医学部の入試で不合格になった小論文 |
平成19年度の学士編入試験を受験した。
学士編入とは、大学卒業資格が条件で、医学部の3年生から編入できる制度。300人ほどの受験者のうち合格者5名という超難関。 試験の一次審査は、小論文「志望動機と目指す医師像」600文字、そして履歴書。これを突破できれば、二次審査の筆記試験(学力試験)へ進むことができる。 受験料は6万円。 郵便局で受験料を支払い、履歴書と小論文を添えて入試に挑んだ。私は医師になる目的はっきりしていた為、小論文にその思いを込めて600文字に仕上げた。
いざ投函。 数週間後に「不合格」の通知が来た。 私の熱意と6万円は一瞬にして消えてしまった。 二次審査の筆記試験にも進むことができなかった。 学力には自信があったので、せめて二次審査に進みたかったと、ひどく落胆したのを今でも覚えている。 秋田に行くこともなく、書類で不合格になったこの失望感のやり場がどこにもなく、自分は必要とされていない奴なのだと、ただただ落ち込んだ。 仕方がない。
600文字の小論文に込めた私の志望動機は秋田大学医学部の試験官の誰の目にも止まらなかったのだから、これは自分の力不足なのだと自らを戒めた。 私にとって秋田県は縁もゆかりもない土地だった。とはいえ、私の社会人時代は殆ど海外で過ごし、どこの土地でも住めば都タイプの人間だと自負があった。 さらに私は「日本の地域医療に人生を捧げたい」と、その当時は強く思っていたのは今も覚えている。 秋田大学の医学部編入試験の書類選考で送付した、小論文が見つかった。 医師になる前の自分が書く「なりたい医師像」を、20年近くの時を経て興味深く読み返してみた。 初心に戻れるような気がした。 600文字という制限がある小論文だが、確かに「あの頃の私の思いは詰まっている」。 入試に提出した小論文
「志望動機と目指す医師像」
私は過去にJICA専門家として、アフリカの最貧国の保健衛生の政策に携わってきた。あらゆる風土病の予防教育や疫病サーベイランスシステムの強化に関わり、車両が通れない僻地の貧困村も対象にして保健医療政策に従事してきた。 僻地に進むほど原因不明の様々な疾患に出くわし、私は自分に医療の技術がないことを悔いながらも、その民族の言語で患者と接し、住民と対話しながら改善策を模索した。 僻地は、医療施設や学校を含む公共機関は常に地域住民と密着して運営されており、持続した自立発展することが大切であると感じた。そのために人材育成にも取り組んだ。私が取り組んだ地域の保健医療の支援のなかでも、健康のための病気の予防啓発も重要であると思って尽力した。住民の一人も取り残してはいけない、との思いが私にはあった。 ただ、病気を診れずして現場で適切な判断が出来ない自分に限界を感じた感情が、私を医師への道に背中を押した。 私の決意は強く、将来は地域医療の現場で、人々の健康をその地域の諸問題とひっくるめて総合的にみて、地域の人々と共に生きる医師になりたい。そしてこれをライフワークにしたい。 私は過去十年間にわたり国際保健と疫病対策に携わり、実地で得た知見を地域医療に活かし、そして、予防と治療の両観点からアプローチし、脆弱層の人々のための医療に貢献し、地域のヘルスプロモーションを推進できる医師を目指す。 20年前の不合格小論文を見返して
読み返してみて、恥ずかしい想いになった。
自分のこれまでのキャリアに後ろ髪がひかれているのか、自分の得てきた経歴によほどのプライドがあるのか、アフリカのことばかり書いてる自分に赤面してしまった。 自分がいかに医師になりたいのかをアピールするために、高慢チキに必死で自分のこれまでの経験を書き綴っている。 仕方ない、私は22歳から国際協力に没頭して、ずっとアフリカ奥地を闊歩してきたのだから、他にアピールできる要素が私には何もなかったのだ。 感染症対策の活動で共に村落地域を駆け巡った現地スタッフ仲間と しかし、医学の勉強を始める前の自分の自信に満ち溢れまくった強い感情は、どこから湧いていたのだろうか。
私は思い込みが強い性格だが、30歳の頃の私はすでに「こんな医師になる」という意志をもっていたのだ。このとき、まだ医師にもなっていないのに、なんと高慢チキなんだ。 とはいえ、これくらいの負けん気強い傍若無人ぶりの主張は悪いことではない。なりたい医師像を語るのは自由だ。 理不尽な校内暴力、女性蔑視、あらゆる何ちゃらハラスメント、就職氷河期、失われた30年のど真ん中世代の私は、強すぎるくらいの意志を持ち合わせないと医師になれない、と思っていた。 結果は、不合格。 書類だけで不合格となり、筆記試験にも進めず、ひどく落胆したのは今でも痛い思い出だ。 初心にかえるきっかけになった
どこの土地にいても私という人間は全力投球していたことには違いないのだが、もし、私が秋田県で医師となっていたらどういう人生になっただろうか。
秋田大学医学部を受験する際に、秋田県で賃貸マンションを検索して、秋田での生活を想像していた。米も酒も美味い田舎暮らしを夢みたものだ。 だが筆記試験を受ける前に夢が絶たれた。 その後、私は東北の殆どの県を訪れたが、人生でまだ一度も秋田県だけは訪れたことがない。 はて、私は書類だけで不合格になった「秋田」にまだ怨念を抱いているのだろうか。 全国の大学で講演会を実施 2024年末現在の私は日本に帰ってきて医師人生10年目となった。
20年前に入試の小論文に書いたとおり、予防と治療の両アプローチで医療に向き合っている自分がいるのに驚いた。 日々の 産婦人科診療の傍ら、休日はボランティアで「婦人科漫談」と題して全国に講演会に出向いている。講演会は100回を超え、今も継続して依頼があれば休日に全国どこへでも駆けつけている。 昔の熱い思いを振り返って、改めて背筋が伸びる思いだ。 生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、生理不順の原因を検査して将来の妊活計画に役立てて欲しいこと、女性の健康にとって大事なこと、役に立つ情報を発信し、予防と治療の両アプローチを武器に初心にかえって日々の診療を頑張ろうと思う。 医療従事者に婦人科漫談セミナーを実施 |
藤田 由布
産婦人科医 レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 院長 大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。 飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。 女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。 ⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら FB:https://www.facebook.com/fujitayu レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋1-8-3 心斎橋パルコ10F TEL:06-6253-1188(代表) https://shinsaibashi.santacruz.or.jp/ |
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