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藤田 由布 産婦人科医 レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、女性にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。 |
女32歳、ヨーロッパの医学部に入学 その①〜同級生は15歳年下〜 |
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2023年現在、私は日本で医師となり9年が経過した。
産婦人科医という天職に出会えて、今となってはあの時に決断して本当に良かったと思う。 とはいえ、30代で無職になって医師をめざすというのは、なかなか大きな賭だった。 同級生は15歳年下
![]() 私は当時、コンサルタント会社に所属しながらJICA専門家として海外技術協力プロジェクトに派遣されたり、アメリカ財団に雇われてアフリカ諸国の感染対策に携わったり、それなりにキャリアを積んで、海外で楽しい仕事を満喫していた。
27歳の時は、アフリカのトーゴという国でギニアワーム感染症対策に携わり、国土の半分の指揮を任されて、保健省役人や知事と交渉し、多くの国際機関と協力しながら全国の村落地を所せましと闊歩した。 今となって感じるのは、実に稀有で面白い仕事をしていた、と。 ロンドン大学で修士号まで取得してキャリアを築いてきたが、医学部に入学する時は、今までの華やかな過去を窓から全てかなぐり捨てたような感覚だった。 ![]() 私が医学部に入学したのは32歳の頃。1年生は350人の同級生がいて、男女比率は半々。 イラン人やドイツ人の同級生は17歳。私は32歳。私はこの子たちの倍くらい生きてるんやなあ、と思ったものだった。 大学学生課の事務員に言われたことが未だに忘れられない。 「君、32歳?!今年入学するの? 君と同じ年齢層はすでに家族がいて、日曜日に教会に通ってママ友達と子どもの話をするのが日課だよ!」と。 夫も子どもも持たず、たった一人の三十路女が、ひと回り以上若い子たちと大学1年生として人生再出発するのがそんなに珍しいのか。キャリアをかなぐり捨てて、いち大学生となって勉強ばかりの生活をするのは、地球上どこにいても「おかしな奴」と思われるんだ・・・ ちょっとは落ち込んでしまった。 なぜ海外の医学部に?
![]() ※通学は路上電車のトラム(定期は学割がきいて月額1000円と安い) 日本の医学部ではなく、海外の医学部に進学したのにはいろいろな理由がある。
海外の医学部は、卒業は大変なのは有名だったが、入学の関門は割と敷居が低い。 まず、日本で医学部に入学するためには、センター試験で全教科学び直さねばならない。 32歳で古文や漢文や微分積分や日本史をいちから再勉強するには、正直あまりにも気が遠くなった。 ![]() ※大学キャンパス内でランチは軽くパンを買うことが多い。1個100円程度で安い。 私は関西大学を既に卒業し社会人として10年以上経ち、そこからまた高校時代の授業内容を再び学び直すことが今後の人生に役に立つような気がしなかった。
日本の10校ほどの国公立大学医学部は「学士編入」といって2〜3年次に編入できる入試システムがあった。しかし、受験生300人以上のうち合格者枠は5人という狭き門。 日本という国は21世紀になっても、女性が医学部に入学するには制限があり、受験料3〜6万円支払っても‘’女性というだけで‘’不合格になることが普遍的にあるため、「日本で頑張る」選択肢はあまり重要ではなくなった。 実際に、秋田大学医学部の編入試験では受験料3万円を支払ったが、書類審査だけで落とされた。試験さえ受けさせてもらえず、3万円を盗まれた感覚だった。せめて、はじめから年齢制限を設けていると記載して欲しかった。 ![]() ※医学部キャンパス内の本屋さん。教科書は殆どここで購入するが、学期初めは上級生がいらなくなった教科書を半額値くらいで販売する時期がある。 一方、ハンガリーの医学部の入学試験には男女差別は無い。そして、社会人も平等に扱ってくれる。
受験科目は、物理、生物、化学の3教科で、これらの教科は医学部で学ぶ知識の土台にもなるため、学習モチベーションは維持できた。 ![]() ※筆者が滞在していたデブレツェンの街中のアパート あと、東欧の医学部は学費が安かったのが魅力的だった。特に東欧はEUからの支援を受けていて、大学施設の設備は先進国と同じレベルで、アカデミックレベルもそれなりに高いのも好ましかった。
当時円高だったので年間の学費は80万円ほど。ハンガリーの物価は日本の半分以下だったので、生活費も年間50万円ほどでなんとかなった。 約40カ国から学生が集まる大学だから、いろんな国の人たちと勉強できるのも面白そうだった。 イスラエル人、アイスランド人、スウェーデン人、ノルウェー人、ドイツ人、カナダ人、フランス人、韓国人、台湾人、ベトナム人、ナイジェリア人、ケニア人、パレスチナ人、サウジアラビア人、イラン人、などなど他の国からも学生は来ていた。 ![]() ※医学部1年生の時のクラスメイトでBBQ(イスラエル人、ベトナム人、アイスランド人、カナダ人、フランス人、パレスチナ人、サウジアラビア人、ナイジェリア人、台湾人、イラン人、日本人) 同じ教室内にイスラエル人とパレスチナ人、イラン人とアメリカ人が一緒に勉強するのだから、人種の坩堝に埋もれていると、私の年齢など気にならなくなるほど多種多様な環境だ。
個性豊かで個人主義の多様な環境にいると、性別も年齢も国籍もどうでもよくて、ここは勉強に集中するにはもってこいの環境だった。 なんと言っても入学の敷居が低かったので、ロスタイムなくすぐに医学部で学び始められた。 ![]() 家賃は2万円、生活費は月額5万円
![]() ※筆者が住んでいたデブレツェン街中のアパート ハンガリーでの生活費は日本の3分の1くらいで余裕で生活できた。
アパートの部屋はリビングが20畳くらいの広さで、キッチンも8畳くらい、バストイレも広く、洗濯機、給湯器、冷蔵庫、勉強机、ベッド、タンス全ての家具が元から揃っていて、暖房器具はセントラルヒーティングシステムで、手ぶらで引越しできる。 ![]() ※住んでいたアパートのキッチンには冷蔵庫も洗濯機もすべて備え付けで身一つで引っ越せる 引っ越したばかりに頃、備え付けのベッドにコーヒーの染みがついていたのを見つけたら、プロのお掃除業者をつけてくれて、とても綺麗に掃除してくれた。
アパートのすぐそばに市場があり、日本のスーパーと変わらない品揃い。円高も助かって、自炊したら食費は月に1万円くらいで足りた。 ハンガリーの冬は長くて寒い。暖房代は月に1万円を超えることもあり、やや高い。 1年に1〜2度は日本に一時帰国していたが、日本ーハンガリーの往復の航空運賃は約7〜8万円だった(2012年頃)。 ![]() ※ホームパーティで息抜き(ナイジェリア人、ハンガリー人、ベトナム人、筆者の友達が日本から来た時) 学期間中は勉強に追われる生活なので、外食やパーティーはあまりせず、家と学校の往復生活。
試験が終わった後や、学期の始まりの余裕のある時は、私は仲の良い先生や同級生を招待してホームパーティをしていた。 ハンガリーの医学部は部活に入会している学生は殆どおらず、学期が終わればすぐに皆んな故郷に帰って1〜2ヶ月の長期休暇で羽を伸ばす。 ![]() ※暖かい季節になるとバーベキューパーティがとても楽しみ 思い返せば、学校での会話は常に勉強のことばかり。
過去問をいかに入手するか、いかに試験に合格できるか、どういった勉強法が効率良いのか、どの先生はどんな試験を課すのか、厳しい先生は誰か、易しい先生は誰か、こういった情報収集が日課だった。 20歳前後の若い学生の中には、初めての海外生活で「まるで遊びに留学に来た」かのような浮かれた若者もいた。 もちろん、覚悟決めて一生懸命に勉強する学生が殆どだったが、時にはとんでもない学生もおり、親に車を買ってもらって豪遊に尽力し、毎晩のようにパーティやギャンブルに溺れる輩もいた。 そんな輩は、医師になりたい為にわざわざ海外の医学部に来たのではなく、日本の医学部に入れないから海外に来た金持ちボンボンといったパターンで、たいていが医師の親をもつ2世が多かった。 ![]() ※アパート周辺のデブレツェンの街並み こういう学生は、卒業するのに8年以上かかる。
私はこういう若者とは一切友達にならず、いや、友達になれなかった。 仕方がない。これまで経てきた経験や意識があまりにも違いすぎたし、私が放つ勉強に対する緊張感が半端なかったので、向こうからも明らかに嫌われていた。 絶対に最短の6年で卒業するために、私は必死のパッチで猛勉強の生活を送っており、全くと言っていいほど医学部生活を楽しめなかったような気がする。 ![]() ※卒業式 2014年6月20日 医学部1年生として入学する学生数は350名ほど、2年生に進級できるのは200名程度。
3年生の時にも100名近く留年する。つまり、半分以上の学生がストレートで卒業できないのだ。 医学部6年間をストレートで卒業できる割合は25%ほど。 進級試験は点数が足りなかったら容赦なく落とされるので、神経すり減らして毎回真剣に試験に挑むのだ。 その壮絶たるや、私の海外医学部生活の続きは次号コラムへ・・・ |
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![]() 藤田 由布
産婦人科医 レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 院長 大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。 飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。 女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。 ⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら FB:https://www.facebook.com/fujitayu レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋1-8-3 心斎橋パルコ10F TEL:06-6253-1188(代表) https://shinsaibashi.santacruz.or.jp/ |
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