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沙門空海唐の国にて鬼と宴す(夢枕 獏)

信念があれば迷いがなくなる

沙門空海唐の国にて鬼と宴す
巻ノ二
夢枕 獏(著)
コロナウィルスを気にしながらの日々も1年が経ちました。不自由は感じますが得たものも少なくありません。

担当するラジオ番組はリモートになり、月1度まとめての収録が隔週に変わりました。

通勤時間が無くなり、更にリスナーのメッセージをタイムラグなく紹介できるのは嬉しいことです。その上期間を開けずマイクの前に座るので話のテンポが楽に作れるようになりました。

いよいよ来月で4年目に突入。月間26000アクセスを越える人気番組となったのも皆様のお陰です。

そして先日は初の野外コンサートを経験しました。

弦楽器奏者にはタブーである野外での演奏。しかし依頼が来たのは需要があるからではと思い直し挑戦しました。

広がる芝生に青い空。コンサートは大盛況となりました。開放的な雰囲気ぴったりのプログラムでチェロ門下生も巻き込んだスペシャルな舞台となりました。

新たな仕事が舞い込む中、時間を見つけて読んでいた本があります。空海についての1冊です。その生き方を知ることが原動力となりました。

真言宗の開祖となった空海は留学僧として唐に渡りました。当時の船旅は命がけです。嵐に巻き込まれ難破寸前の状況下、空海一人が静かに座っていました。

仲間に「このような時になぜそんなに落ち着いていれるのだ」と聞かれますが答えは明快。

騒いでも状況は変わらない―。

様々な困難があったにもかかわらず遣唐船に乗れたのは自分が唐に行くべくして乗船したと言える。だから難破などしないと信じている。そう言いました。

「信じる」ことは何の確約もないのでは?

との言葉に「そうだ」と認めます。しかし、怖がって騒ぐのと心穏やかでいること、自分は後者を選ぶと言いました。

その精神は世の中が変化する時や新しい挑戦をする時にも当てはまります。空海に同感しました。

その後無事唐に入国し、密教の神髄を学びます。長安で知り合った大詩人の白楽天と心が通じ、語り合う場面が気に入りました。
(本文p.183より)
「空海さん・・・・・」
ふいに、白楽天は、つぶやいた。
「はい」
「あなた、何の為に生きておられるのです?」
「難しい御質問ですね」
「ええ、まあ――」
自分の質問の質を、白楽天はわかっているようであった。

「どのように生きたら良いかということがわかっているということは、自分が何者であるかわかっているということです」
白楽天は言った。
「はい」
空海がうなずく。

「人が、どのような意味を持って、この世に生じてくるのか、それは、誰にも答えられません。あるいは、ずっと後になって、歴史が、それに答えてくれるかもしれません。しかし、本人には・・・・・」
「おっしゃることの意味はわかりますよ」
「自分が、何者であるかは、神が決めるのではありません。つまるところは、本人が決めるのです。本人が、何者かになり、何者かになってゆくのです」
信念があれば迷いがなくなる。

自分の志を成し遂げたいとの思いが更に強くなっています。
沙門空海唐の国にて鬼と宴す
巻ノ二
夢枕 獏(著)
KADOKAWA (2011)
妖猫に取り憑かれた劉家の妻が唄った歌。それが、およそ60年前、詩仙李白が玄宗皇帝の寵妃・楊貴妃の美しさを讃えた詩だと知った空海と逸勢は、偶然知り合った後の大詩人・白楽天と共に馬嵬駅へ行き、楊貴妃の墓を暴くことに。だが驚くべきことに、そこには妖しい呪がかけられていたうえ、石棺の中に楊貴妃の姿はなかった―。そんな空海に、謎の方士・丹翁は「このことは忘れよ」と警告するが…? 中国伝奇小説の傑作、第2弾。 出典:amazon
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植木 美帆
チェリスト

兵庫県出身。チェリスト。大阪音楽大学音楽学部卒業。同大学教育助手を経てドイツ、ミュンヘンに留学。帰国後は演奏活動と共に、大阪音楽大学音楽院の講師として後進の指導にあたっている。「クラシックをより身近に!」との思いより、自らの言葉で語りかけるコンサートは多くの反響を呼んでいる。
Ave Maria
Favorite Cello Collection

チェリスト植木美帆のファーストアルバム。 クラッシックの名曲からジャズのスタンダードナンバーまで全10曲を収録。 深く響くチェロの音色がひとつの物語を紡ぎ出す。 これまでにないジャンルの枠を超えた魅力あふれる1枚。 ⇒Amazon
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BLOG:http://ameblo.jp/uekimiho/
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⇒関西ウーマンインタビュー記事

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