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踊る熊たち(ヴィトルト・シャブウォフスキ)

「自由」に戸惑いもがく人々

踊る熊たち
冷戦後の体制転換にもがく人々
ヴィトルト・シャブウォフスキ(著)
図書館で政治学の棚を見て回っていると、風変わりなタイトルが目に飛び込んできました。『踊る熊たち』、表紙は2本足で立つ熊の写真です。比喩ではなく本物の熊です。

本書は、ポーランドのジャーナリストによるルポルタージュで、「冷戦後の体制転換にもがく人々」の生の声を伝えています。やはり人も描かれています。

第1部は、ブルガリアの熊使いによって芸を仕込まれた「踊る熊たち」が、動物保護団体に引き渡され、本来の生態に戻されていく話です。

熊の踊りは、かつてはロシア、ポーランド、バルカン半島を中心に、ヨーロッパで広く行われた大道芸でした。

熊使いは、熊が小さいうちに、体の中でもとりわけ敏感な鼻に金属の輪を通し、その鼻輪にリードをつないで熊を操ります。熊は痛みのために体をよじり、それがあたかも踊っているように見えるといいます。

囚われの身の熊は、パンや甘いものやアルコールで餌付けされて、芸を仕込まれます。しかし、そのような食べ物は、本来熊が摂取すべきではない種類のものです。

子どもの頃から人に育てられた熊は、人に懐き、主人の言うことをよく聞きますが、ふとしたときに本能が目覚め、人にケガをさせることもあります。それを避けるために、歯を抜かれる熊もいます。

熊の踊りは、現在では動物虐待であるとして禁止されています。ブルガリアでも、2007年のEU加盟にともない、禁止されることになりました。

熊たちを拘束から解き、本来の生態に戻すという保護団体の活動は正しいことに思えます。 けれども、熊使いとその家族にとって、熊使いは生活の糧であり、誇りをもって携わってきた職業でした。熊を本当の子どものように愛し、育ててきた彼らにとっては、熊から引き離されるということは、誇りと、職と、愛する存在を奪われるということでもあります。

本書には、「ヨーロッパ最後の踊る熊」を手放したあとの熊使いの悲嘆にくれる様子が描かれています。しかし第1部の主役は熊たちです。

保護園に引き取られた熊たちは、突然の環境の変化に戸惑うようです。鼻輪がなくなり、好きに動けるようになっても、熊たちはその状況をすぐには理解できません。

食糧は人間から与えられるものと思ってきた熊たちは、自分で餌をとることができません。突然「自由」になっても、熊は生きていけないのです。徐々に新しい環境になじみ、少しずつ本能を取り戻しますが、それでも野生の熊のように生きていくことは無理なのです。

保護園で生きる熊たちは、貧困に苦しむ地元の人々からは、不相応にお金をかけてもらっていると、嫉妬の対象になっています。その熊たちは、人間を目にすると、後ろ足で立ち上がって体を揺らし始めます。パンを、飴を、一口のビールを、愛撫を、痛みからの解放を乞うかのように。

第2部は、キューバ、ポーランド、ウクライナ、アルバニア、エストニア、セルビアとコソボ、グルジア(ジョージア)、ギリシャの人々の暮らしに迫ります。

ブルガリアの踊る熊たちを追った、第1部の「愛」「自由」「交渉」「歴史」「本能」「冬眠」「ライオンをアフリカへ」「去勢」「踊る熊たち」「結末」という10の章立てとまったく同じ章立てが、第2部でも繰り返されます。つまり踊る熊たちの運命が、なぞらえられているのです。ただし第2部には「結末」の章がありません。

これらの国々は、社会主義体制から資本主義へ転換している途上であったり、資本主義経済が行き詰まったりして、混乱や衝突を起こしながら模索を続けている国々です。

闇の商売で儲ける人々、旧体制時につくられた無数の掩蔽壕を解体して鉄筋を売りさばこうとする人々、かつての独裁的な指導者を信奉し変わらぬ愛を捧げる人々、急激な社会や制度の変化で突然にかつての隣人と敵と味方の関係になってしまった人々。

彼らは、愛や誇り、職や、重ねてきた日々から引き離されることを伴う「自由」に戸惑いながら、新しい環境に慣れようとしています。その様子が、踊る熊たちの話とシンクロしています。

確かに旧体制での生活は、鼻輪でくくられて餌付けされた熊たちのように、不自由なものだったかもしれません。けれども、そうしたなかにも、愛情や誇りをもった暮らしの積み重ねがありました。それを外から見て「古臭い不自由なものだ」と一方的に断じて否定するのは、暴力的なことだなと思えてくるのです。

本書には、冷戦に「勝った」側からの見下すような視線は感じられません。著者は一方的な価値観や基準で断ずることなく、人々と親しく交わり、じっくりと話を聞きます。それは著者自身がポーランド人であるということと関係しているのでしょう。

本書に出てくる国々の多くは、あまりなじみのない地域ですが、巻頭の地図と、こなれた訳のおかげで、著者と共にこれらの国々を一緒に取材して回っているかのような臨場感を持って読み進めていけると思います。
踊る熊たち
冷戦後の体制転換にもがく人々
ヴィトルト・シャブウォフスキ(著)
(白水社 2021年)
ブルガリアに伝わる「踊る熊」の伝統の終焉と、ソ連崩壊後の旧共産主義諸国の人々の声。ポーランドの気鋭による異色のルポルタージュ 出典:amazon
profile
橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
Facebook:nobuko.hashimoto.566
⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら

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