冥途のお客(佐藤愛子)
その体験談は、あるものは面白くあるものは怖い。 冥途のお客
佐藤愛子(著) これは小説ではなく、佐藤愛子さんの体験を交えた、「あの世はあるのか」を考える本です。
結論を先に言いますと、佐藤愛子さんは「あの世はある」とおっしゃっています。 その根拠とされている体験談は、あるものは面白く、あるものは怖い。 当時、佐藤さんがそんな「怪奇体験」を相談されたのは、美輪明宏さんであり、ブレイク前の江原啓之さんでした。 お二人は佐藤さんから個々に相談されているのですが、共通点は気負いなく、ごく自然に回答されていること。 佐藤さんは、家族以外誰も知らないような昔のことをさらっとおっしゃる二人に、驚き、そして納得されるのでした。「見えておられるのだ」と。 のちに美輪さんと江原さんが『オーラの泉』で共演されるとは、予想もされていなかったであろう頃のお話です。 私はあの世がある、と断言はできないけれど、あったらいいなぁと思っているので、面白く読み進めることができました。 ただ、そんな私でも、この本の最後の方で紹介された「あの世とこの世を結ぶ使命を帯びている方」にはちょっと引いてしまいました。両方の世界を行ったり来たりって…… でもしばらく考えて、そういう人がいてもいい気がしてきたのです。だって、平安時代にもいましたよ、そういう人が。 宮廷官吏の小野篁は、昼間は朝廷に出仕し、夜は冥府の閻魔大王の横で裁判補佐をしていた、と言われていますもの。 現代にそういう人がいても、あるいはそういう人がいると思われていても、いいんじゃないかしらん。 閻魔大王の横で裁判補佐、という話をもう少し。 この裁判では、生前の行動などを吟味の上、地獄行きか、極楽行きか、決められるわけです。 普通は、悪行三昧であったり、ことここに及んで閻魔様の前で嘘をついたりすると、地獄行きになると思うではないですか。 ところが『冥途のお客』には、恐ろしいことが書かれていました。 人を殺した者と殺された者と、どちらが多く地獄(暗黒界)へ行くかといえば、殺した者よりも殺された者の方が多いと聞いたことがある。
殺された上に死んでも地獄へ行くなんて、間尺に合わないと思うが、殺されたものは恐怖や悔しさや怒り、恨み、この世への執着などの強い想念を持って死んで行くため、この想念が浄化のさまたげとなるということである。 (佐藤愛子さん『冥途のお客』 P59〜P60より引用) そんなバカな!!
そんなことが許されていいのか!! と、憤りましたが、いわゆる「浮かばれない」という状態なのかも。 だとしたら、被害者の方の供養は通常以上に心を込めて、取り行って差し上げなければと思いますし、自分がどんな原因でこの世を去るにしても、最後は心安らかに過ごしたいと感じました。 怖い。 あの世の存在や、霊の存在を信じない方には、たわごととしか思えないであろう『冥途のお客』でした。 冥途のお客
佐藤愛子(著) 文藝春秋 岐阜の幽霊住宅で江原啓之氏が見たもの、狐霊に憑依された女性の奇妙な話、夜中に金縛りにあった初体験、父・紅緑の霊が語ったこと、霊能者の優劣…。「この世よりもあの世の友達の方が多くなってしまった」佐藤愛子さんの、怖くて切ない霊との交遊録、第二弾。安らかな死のためには、どう生きたらいいかを考える一冊です。 出典:楽天 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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