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HHhH プラハ、1942年(ローラン・ビネ)

「僕が世界で一番愛するチェコスロヴァキア」

HHhH
プラハ、1942年
ローラン・ビネ(著)
一風変わったタイトルと、そのタイトルをモダンに配したセンスの良い装丁。『HHhH』は、作者ローラン・ビネの小説第一作で、フランスの権威ある文学賞であるゴンクール賞の新人賞を2010年に受賞した作品です。

『HHhH』の読み方は、訳者あとがきによれば、「エイチ・エイチ・エイチ・エイチ」(英語風)でも、ドイツ語風に「ハー・ハー・ハー・ハー」でも、フランス語風に「アッシュ・アッシュ・アッシュ・アッシュ」でも、読者のお好きにとのこと。意味はまたのちほど。

本書は、ナチスドイツ占領下のプラハで決行されたナチス親衛隊幹部ラインハルト・ハイドリヒ暗殺作戦を追う、史実にもとづく歴史小説です。

…なのですが、半分以上は作者ローラン・ビネの資料調査の経緯や、この話を書くにあたって参照した他の作品への批判や、この史実を記述するにあたってどういうスタンスで臨むべきかといった思考の記述に費やされています。

つまり、「作者ローラン・ビネがハイドリヒ暗殺事件を小説にしていくプロセス」を小説にした作品になっているのです。暗殺事件は、核となるテーマでありつつ、劇中劇でもあります。そこが、この作品の最大の特徴で、面白いところです。

またビネは、彼自身のチェコスロヴァキアへの愛が高じて、同国の占領者を暗殺しようと試みる実行犯たちに同化したいという想いを臆面もなく作品中に放出します。それはもう作品からチェコスロヴァキアへの愛が伝わるというレベルではなく、「僕が世界で一番愛するチェコスロヴァキア」といった言葉を臆面もなく書き連ねています。

ところが、同時に、ビネは支配者であるハイドリヒの冷酷で優秀な人物像にも魅入られそうになるのです。そしてそのジレンマも率直に書き記します。

実は、本書のタイトル『HHhH』も、Himmlers Hirn heißt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)の略で、親衛隊や秘密警察ゲシュタポを統率したヒムラーの部下のなかでもハイドリヒがきわだって優秀であったことを示すフレーズなのです。

対象への愛を率直に書くビネですが、歴史上の人物や事実を勝手な想像で脚色したり創作したりすべきでないという方針を徹底しています。そのため小説にしては登場人物たちの「キャラが立って」いません。

それに対して、ビネの逡巡や苦悩や調査や思考のプロセスの部分はいらない、暗殺事件の筋だけでよいという感想をもつ読者も多いようです。合う合わないの分かれる作品です。

でも、こういう書き方ができるのは小説ならではの特長だと思います。

研究者の論文では、調査の過程や、対象への愛を直接的な表現で文章中に盛り込むということはしません。このテーマにはこんな意義があるんだ、といった意義付けや箔付けはしますが、対象を愛しているからこのテーマを選んだ!とは書けません。

でも研究者は、このテーマは面白い、この人物は魅力的だ、この国が好きだ、もっと知りたい、他の人にも知って欲しいと思いながら調査を進めているので、その過程はとてもエキサイティングで、本当は披露したくなるところなんですよね。だから本書をとても羨ましく思いながら読みました。

ところでハイドリヒ暗殺作戦は、過去にも小説や映画になっています。映画『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016年)は、もっとドラマティックでロマンティックなストーリーになっています。『HHhH』も映画化されましたが、日本では未公開です。公開されたら、この小説をどのように映像化するのか、ぜひ見たいと思います。
HHhH
プラハ、1942年
ローラン・ビネ(著)
東京創元社
ユダヤ人大量虐殺の首謀者、金髪の野獣ハイドリヒ。彼を暗殺すべく、二人の青年はプラハに潜入した。ゴンクール賞最優秀新人賞受賞作、リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞受賞作。 出典:amazon
profile
橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
Facebook:nobuko.hashimoto.566
⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら

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