村上龍の『55歳からのハローライフ』が出版されたのは2012年12月。
今から(2015年現在)約3年前のことです。
多分書店で見たはずなのに、この本の存在にまったく気が付きませんでした。
多分、他人事だったんでしょうね。
「55歳から」というのが。
「人間の目や脳は自分勝手で、興味や関心がないものは、
見えてはいても、全く認識されないことがある」ということを
知識では知っていたけれど、こんなにも実感できるとは。
最近、この本の背表紙に書かれたタイトルが
そこだけ浮き上がるかのように目に飛び込んできたんですよ。
55歳が身に迫ってきたからに違いありません。
うん、今の私はこの本をとても読みたい。
そして読み始めて気がつきました。
「小説だったのか!」。
巻末の解説を書かれた北野一さんも同じことを書かれていました。
最初は小説とは気がつかなかったと。
ハローライフを、ハローワークと読み間違え、
同じく村上龍の『13歳のハローワーク』の関連本だと誤解したんですって。
私も全く同じです。
多分、この本の読者の半分くらいは同じ体験をされたのではないかしら。
もしかしたら村上龍はそれを計算に入れてタイトルを決めたのかもね。
さて、『55歳からのハローライフ』。
中編小説が5つまとめられたもので
5編の主人公は、いずれも熟年世代という共通点があります。
夫と離婚した後、経済的な不安から再婚を希望し、
結婚相談所で相手を探す中米志津子が主人公の『結婚相談所』。
リストラされた後、派遣社員として様々な仕事をして家族を養う因藤茂雄は、
最近ホームレスを見ると動悸がするようになった。
人は意外と簡単にホームレスに転落してしまうと思うから。
(『空を飛ぶ夢をもう一度』)
早期退職に応じることで割り増しされる退職金でキャンピングカーを買い、
妻と二人で旅をする計画を立てていた富裕太郎。
内緒で計画を進め、満を持して妻に打ち明けたところ、
喜ぶと思った妻は、眉を曇らせながら「気が進まない」と言う。
(『キャンピングカー』)
高巻淑子の夫は定年退職後、
一日中書斎のパソコンに向かってブログを書いている。
そもそもここ何年も夫婦の会話はなくなっていたのだが、
息子が結婚し、海外勤務になってしまい、
高巻淑子は急に寂しくなり、柴犬を飼うことにした。
最近の淑子の楽しみは愛犬ボビーを連れて公園を散歩することだ。
ドーベルマンを散歩に連れてきている精悍な男性
ヨシダさんとの会話に癒されているのだ。
(『ペットロス』)
長距離輸送のトラックドライバー下総源一は、
先のことなど考えず、気分良く生きてきた。
トラックで日本列島を南から北まで走り回り、
稼いだ金を酒、女性、ギャンブルにと、気前良く使い続けた。
還暦を過ぎた今、浪費したことを後悔している。
貯金は殆どない。
正社員ではなかったから年金もないに等しい。
若い頃のようにお金のかかる遊びができなくなり、
見つけた楽しみは読書。
数百円で1日楽しめるなんて「本」とはすごいものだ。
その本も、古本屋で買うことにしている。
ある日、行きつけの古本屋で、素敵な女性と出会った。
自然な感じで自分のことを「わたくし」と呼ぶ50歳前後の女性。
勇気を出して誘ったら一緒に食事することができた。
以来、古本屋で待ち合わせ、お茶を飲んだり食事をしたりしていたのだが…。
(『トラベルヘルパー』)
どの話も、なんだか切なく、やるせない状況から始まります。
ただ、私自身が女性だからでしょうか、
男性が主人公の『空を飛ぶ夢をもう一度』『キャンピングカー』
『トラベルヘルパー』は単に小説として楽しむことができました。
ところが、女性が主人公の『結婚相談所』と『ペットロス』は
自分の身の上に引き寄せて物語を味わうため、
腹が立ったり、クスッと笑ったり、かなり感情に波が立ちました。
特に『結婚相談所』。
結婚相談所に通うようになった志津子さん。
「なぜ私は再婚したいんだろう」と自分を見つめ直した時に、
経済的な理由だけではないことに気がつきます。
もとの夫とは違う男性と、別の時間を過ごしたいと思っているのだと。
それは結構生々しい話も含めて、のこと。
「ま、そりゃわからんこともないけど…」と
同調しつつ続きを読んで思わず「うっ!」と唸ってしまいました。
結婚相談所にやってくる男性は、志津子さん以上に
生々しいことを思っていたりするのです。
そして不躾にも、ダイレクトに志津子さんに言葉を浴びせて来るではないですか!
「失敬な!!!」
「本当にこんなことを言うオトコがいるのか?!」
「許せーん!!」
志津子さんは悔し泣きしていたけど、
私だったらその場でそのオトコを殴っていますね。
しかもグーで。
ああ、今思い出しても腹が立つ。おぞましい!
ま、小説の中の出来事に、こんなにも腹を立てている時点で
村上龍の思うツボなのですけれども。
でもね、ご安心ください。
この小説は5篇とも優しいのです。
ああ、この人どうなっちゃうんだろう、とハラハラしながら読みつづけると、
最後に心が温かくなる結末が待っています。
”55歳”は仕事面ではリタイア間近な年齢。
でも日本の平均寿命から考えると、まだこの後何年も生き続けなくてはいけない。
心が折れそうになることもある。
配偶者に対して
「なんでこの人はいつもこうなんだ!!」と、
腹が立つこともある。
だけど視点を変えると、何歳からでも人生はまだまだやり直せる。
この小説は、一生懸命生きるミドルエイジたちが
生きることに疲れたり、
夢を無くしそうになりながらも、
再び前を向いて生きようとする再生の物語です。
その様子を我が事のように一喜一憂してこそ意味があり、
あまりにお若いかたでは、この小説の滋味は味わえないかもしれません。
そういった意味ではタイトルにピンときた時が読み頃かもね。
ところで、この小説には『主人公たちが熟年世代である』という以外に、
もう一つの共通項があります。
それは飲み物。
紅茶やコーヒー、ミネラルウォーターなど、
それぞれの物語に飲み物が登場します。
どんなに辛い時でも、切羽詰まった時でも、
飲み物をゆっくり味わえば、心が潤い、活路が見出せる、というのです。
楽しみとして飲み物を味わうことができる動物は人間だけだ、
という意味の言葉も出てきます。
私は子供の頃は紅茶党でした。
現在は大のコーヒー好きです。
この小説を読んで、それ以外の飲み物も味わいたい欲求にかられました。
さてあなたはこの小説を読んで 誰に感情移入して、
どんな飲み物を飲みたくなるでしょう。 |
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池田 千波留
パーソナリティ・ライター
コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、
ナレーション、アナウンス、 そしてライターと、
さまざまな形でいろいろな情報を発信しています。
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著書:パーソナリティ千波留の読書ダイアリー
ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。
だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。
「千波留の本棚」50冊を機に出版された千波留さんの本。
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