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■関西ウーマンインタビュー(起業家)


古賀 和恵さん(『FSアカデミー』学長)

やりたいことをやらないことが一番もったいない

古賀 和恵さん
『FSアカデミー』学長
1つの建物で、ピアノやギター、ドラム、声楽、ダンス、書き方、アートなど、子どもを対象にした習い事教室を展開する『FSアカデミー』。

学長の古賀和恵さんは、建物を持っていたわけでも、講師の知り合いがいたわけでも、生徒数に見込みがあったわけでもありません。「子どもたちが真の人間力を身につけ、幸せに生きてほしい」という想い、情熱からのスタートでした。

現在では教室数19クラス、生徒数100人を超えるスクールに成長しています。また、子どものミュージカル公演『堺こどもミュージカル』、さらには子どもミュージカル劇団『Little★Star』を立ち上げるなど、湧き上がる想いを形にし続けています。

「本当にやりたいという情熱があれば、いつでもできる。やりたいことをやらないことが一番もったいない」と古賀さん。その言葉の背景にある古賀さんの経験とは? 想いや目標を、どのように現実にされてこられたのでしょうか。
学生時代から起業家をめざして
『FSアカデミー』を設立するまでに、生命保険会社や貿易会社勤務、ブラジルで日本語教室開業など、さまざまなお仕事を経験されていますね。
母子家庭に育ち、女性の社会進出が珍しい時代に起業家として働く母の姿を見てきましたから、私も自分なりの何かができたらいいなと、学生時代から起業家をめざしていました。

起業前に社会人経験を積もうと生命保険会社に営業職で入社し、その4年後には貿易会社設立のお手伝いをすることに。ブラジル行きは夫からのプロポーズがきっかけです。

ブラジル国籍で日本在住の彼との結婚を意識した時、ブラジルはどんな国で、どんなご家族が暮らしていて、果たして伴侶としてやっていけるのかを確かめたい気持ちと、海外で暮らす経験もしてみたいという若かりし日の好奇心もあって、30歳までの2年間と決めてブラジルに渡りました。
その2年のうちに、はじめて暮らす国で日本語教室を開業されたんですね。今につながるバイタリティを感じます。
教室といっても、自宅の台所にホワイトボードを打ち付けて教室としていただけなんです。

きっかけは、ポルトガル語を教わっていた先生から「日本語を教えてみては?」とご提案いただいたから。ポルトガル語もまだ使いこなせていない状態でしたが、やってみることにしました。

ブラジルでは日本語を学びたい人が多く、生徒数は順調に増え、さらには日本語教師として子どもたちの教育にも携わってもらえないかというお話をいただくまでにも。

でも、日本語教師の資格も、教員免許も持っていない私が、未来のある子どもたちに教えてもいいのだろうか。もし教えるのならば、それなりの準備が必要だと、いったん帰国して考えることにしたんです。

帰国後は日本語教師の養成講座を受けて資格を取り、母校に戻って教員免許をめざして勉強していましたが、妊娠したため、子育てするなら日本でと、ブラジルでのお話はお断りしました。
「何もない」ところから一歩ずつ近づいていく
『FSアカデミー』を設立するきっかけは何ですか?
もともとの原点は子どもの頃にあります。

母が引っ越し魔で小学校を6回も転校し、小児ぜんそくで学校も休みがちだったので、5年生になっても掛け算の九九ができませんでした。危機感を持った母が家庭教師をつけてくれて、その大学生のお兄さんが私の人生の恩師と言えます。

お兄さんは、勉強ができていないことはさほど問題ではないし、頭はすごくいいと言ってくれました。それよりも、転校で友だちがいないことで、外で遊ばないから余計に身体が弱ってしまうのではないかと、近所の子たちを集めてドッヂボールやバドミントンなどで遊んでから、勉強を教えてくれたんです。

そのおかげで勉強の楽しさに気づき、成績も伸びて中学受験するまでに意欲も学力も上がりました。そんな経験があったから、私も大学生になった時、子どもたちに勉強の楽しさややればできることを教えたいと、塾で講師をしていたんです。

娘が生まれたのをきっかけに、そのことを思い出し、子どもたちの教育に関わる何かをしたいと、学習教室を自宅で開きました。

私が2階で教室を開いている時、ピアノの先生に来てもらって娘は1階でピアノのレッスンを。すると、ピアノに興味を持った学習教室の子たちが「ピアノを習ってみたい」となって、自宅で学習教室とピアノ教室を開くようになったんです。

その時、ぴんと来たことがあります。
「ぴんと来たこと」とは?
学習教室には、親から言われて来ている子がほとんどで、やらされている感が見えました。一方、ピアノは子どもたちが自分から「やってみたい」と取り組んでいること。明らかにいい顔をしているんです。

その時、思い出したことがあります。塾で講師をしていた時、生徒さんを自宅に招いて1日10時間の勉強合宿をしたことがありました。生徒さんは見事、志望校に合格されたのですが、入学して数カ月で不登校に。あんなにも喜んでいたのに、どうしてそうなってしまったのかと悩んだ過去があります。

その悩みが、するするする~っとひらいていく思いがしたんです。勉強だけではだめで、自分が好きなことややりたいことに取り組むことが大事なんだって。それが子どもを大きく成長させるんだって。もともと起業家をめざしていましたから、そんな場をつくろうと思いました。

みんながみんな、ピアノをしたいわけではないから、ダンスもあるといいな。人前で出るのは恥ずかしいという子もいるから、お絵描きや書道もあるといいな。ということは、子どものカルチャースクールみたいなところやわと思い至ったんです。
場所があったわけでも、講師に心当たりがあったわけでも、生徒数に見込みがあったわけでもなかったそうですが、理想をどのようにして現実にされたのですか?
どうしたら一歩ずつでも、理想や目標に近づいていけるのかを考えました。

まずは、建物、先生、生徒募集、資金など、必要な要素やリスクを書き出したんです。じっと眺めていると、リスクはなんとかなると思えることが多い。となると、自分が書き出した中で、何を一番に取り組めば一歩でも近づけるのかと優先順位をつけます。

『FSアカデミー』の場合は、建物と先生探しがクリアできたらオープンできると思いました。

建物探しでは、賃貸か購入かで迷いましたが、賃貸の場合は生徒さんの集まりが悪いと途中で払うのがしんどくなってやめたくなるかもしれないし、オーナー都合で移転しなければならないこともあるから、銀行の融資を受けて購入することに。

先生探しでは、ホームページやフェイスブックで探したり、ダンススクールや書道会などに講師派遣をお願いしたり、芸大に卒業生の紹介をお願いしたり、娘を連れて体験レッスンに出かけたりなど、考えられるありとあらゆることをやりました。

そうやって一歩一歩、前進していくと、想いが具体的になり、「これはやっていいこと、これはやってはいけないこと」「何が必要、何が必要ではない」ということも明確になっていきます。
一歩一歩を積み重ねて、2010年にオープンされたのですね。
生徒さんは、私の娘と、私の友だちの子どもと、問合せのあったお子さんの、3人からのスタートでした。

「1年後には生徒数50人」など中期・長期の目標を立て、そこを見据えながら日々完全燃焼を。チラシをつくって、学校の校門前で配布したり、新聞の折り込み広告を入れたり、夜な夜なポスティングして回ったり。生徒数は順調に増え、今では100人を超えています。

生徒さんが少ないうちは「本当に大丈夫?」と不安になることもあった気がします。でも、これこそが私のやりたいことだという強い想いがあったから、突き進むことができました。

子どもたちが自分のやりたいことを一所懸命に取組み、仲間や応援してくれる人たちにも囲まれ、できなかったことができるようになるなど成功体験を積み重ね、自己肯定感を高めていってほしい・・・その願いは今でも変わりません。
悩みが、新たな目標になる
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
自分の力のなさ、思うように進まなさを、もどかしく思ったり、しゅんとしたりすることはあります。

最近ですと、長年通っている子たちがどんどん成長し、レベルアップしているから、「少し物足りなさを感じ始めているのでは?」「そういった子に向けて専門的なクラスもあるといいのでは?」という悩みが出てきました。同時に、それは新たな目標でもあります。

子どもたちにも「自分で決めたことは、自分で頑張る」と伝えているから、私もそう。もどかしく思うならば行動するしかない、自分が納得するところにいくしかない。そうすることがあっているのか、あっていないのかは問題ではなくて、自分が「やりたい」「こうなりたい」と思っていることをやるのが一番なんです。

やってみた上で、生徒さんが減ったり、何か揉め事があったりなど問題が起きれば、私の想いはこうだったけれど、一般的に考えると間違いだったのかもしれないと考える。どんなことも結果ではなく通過点、またそこから修正していけばいいから、やりたいことをしっかり実現させていくことが大事だと考えています。
「やりたいことをしっかり実現させていくことが大事」。その言葉通り、『堺こどもミュージカル』、さらにはジュニアミュージカル劇団『Little★Star』と、想いを形にされていらっしゃいますね。
『堺こどもミュージカル』は、『FSアカデミー』を設立して3年後に立ち上げました。

きっかけは『FSアカデミー』の発表会で、自然と目が行く子と行かない子、この差はなんだろうと考える中で、自分が思っていることをちゃんと表現したり伝えたりする力、つまり表現力やコミュニケーション力だと気づいたからです。

その時、思い当たったのが、自分自身の経験でした。

内向的で話すのも苦手だった私は、大学時代に演劇部に入部。舞台でお客さんに向かって表現する楽しさ、仲間と一緒に作品をつくり上げるおもしろさを経験したことで、自分を表現できるようになったり、他人のことも受け入れられるようになったりするなど、大きく変わることができたんです。

大学生の私が変われたのなら、子どもならもっと変われるのではないか。表現力やコミュニケーション力を培っているほうが、より幸せな大人になれるかもしれない。能力が開花したり可能性が広がったり、生き方自体の方向性も変わるかもしれないと考えたんです。

とはいえ、私は脚本や演出はできませんから、これもまた1からの立ち上げ。これもご縁でしょうか。偶然、大学時代に先輩が立ち上げた劇団に所属していた女優さんと再会し、彼女は脚本・演出も手掛けていたので、協力を得てスタートさせることができました。

『堺こどもミュージカル』は毎年オーディションでメンバーを入れ替えます。回を重ねるごとに、常連の子たちが出てきました。基礎もでき、レベルアップもしている子たちにとって、1からの練習は物足りないのかなという、新たな悩みも。

それならば、子どもたちがもっと突き詰めて取り組め、クオリティも上げていける場をつくるといいのではと、劇団『Little★Star』を立ち上げたんです。
悩みにぶつかるごとに、想いは膨らみ続け、さまざまな形で派生していっているのですね。
そうなんです。『Little★Star』では、表現力や可能性、気づき、発見をさらに生み出すために、3年後には沖縄の離島公演、その翌年には沖縄の子どもたちと一緒に舞台をつくれたらいいなあとも。もう、離島の小学校に連絡も試みています。それが実現できたら、今度は海外公演。

想いは膨らみ続けます。

実は60歳で定年退職するということを決めているんです。今はすごく絶好調で、好きでやりたいことを実現できているのですが、抱えているもののボリュームがとても大きくて、相当しんどいのも事実。

1週間のうちでテレビを見る時間は車の移動時間と入浴中だけですし、自分の趣味にかける時間もなければ、何の時間もない。いくら好きなことをやっていると言えど、「えんえんに、死ぬまで」と考えると、エネルギーが弱まるように感じました。終わりがあるからこそ頑張れるのではないか、エネルギーを出しきれるのではないかなって。

私はあと15年で定年退職しますが、『FSアカデミー』を終わらせるつもりはありません。みんなのホームになるように残したいから、出身の子たちに引き継いで去りたい。それまでは走り続けます!
profile
古賀 和恵さん
1995年に神戸松蔭女子学院大学卒業。住友生命保険相互会社に営業職で入社し、1998年に退職。貿易会社設立メンバーに加わった後、1999年にブラジルに渡る。同年には、ブラジルで日本語教室を開業。2001年に帰国し、日本語教師資格を取得した。2002~2008年まで在日ブラジル人を対象に日本語教室を開業。2009年には自宅で学研教室を開業。子どもには勉強以外の学びも必要と強く思うようになり、子どものための総合カルチャースクール『FSアカデミー』を2010年に設立した。2013年には『堺こどもミュージカル』、2017年にはジュニアミュージカル劇団『Little★Star』を立ち上げた。
FSアカデミー
堺市西区北条町1-8-7 TEL:072-201-0552
HP: http://fs-academy.jp/

堺こどもミュージカル
HP: http://www.sakai-child-musical.info/

Little★Star
HP: https://www.little-star-musical.com/
(取材:2018年1月)
editor's note
古賀さんの『FSアカデミー』設立は、今の自分にできること、できる範囲の中からではなくて、「こんなところがあったらいいな」「こんなことがやってみたい」という理想が出発点です。

私からすると、建物も、講師の知り合いも、生徒数に見込みもない中、建物1棟を購入して、複数の習い事を集めてという『FSアカデミー』は、山のように大きな理想のように感じられましたが、それを現実のものとされた古賀さん。

そうできたのは、理想や目標を見つめつつも、「どうすれば、“少しでも”その理想や目標に近づけるのか」と考え、「相談してみる」「探してみる」「電話してみる」など地道な一歩一歩を積み重ねてこられたからこそ。

「もどかしく思うならば行動するしかない、自分が納得するところにいくしかない」という古賀さんの言葉に表れているように、動く中で見えてくるものがあるんだと思いました。

また「不安よりも『やりたい!』『やるんだ!』という想いが大きすぎて、やめておこうという選択肢は最初からなかった」と古賀さんが振り返るように、並々ならぬ強い想いがあったからこそです。

それほどまでに強い想いを持てたのは、シングルマザーで起業家のお母さま、小学生時代に出会った家庭教師、演劇部での経験、家庭教師時代の経験、ブラジルでの経験・・・これまでのさまざまな点が結びついて見えてきた「自分がやりたいこと」だったから。

自分が感じたり思ったり考えたりしたことを大切にされ、「興味を持ったこと、やってみたいと思ったことに挑戦してみる」という経験を積み重ねてこられたからこそ、「これこそは!」と思えることを見つけることができ、現実にもしていけたのだろうなあと思いました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP:『えんを描く』