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驚異の百科事典男(A・J・ジェイコブズ )

ブリタニカ百科事典全32巻読破プロジェクトを伴走する

驚異の百科事典男
世界一頭のいい人間になる!
A・J・ジェイコブズ (著), 黒原 敏行 (翻訳)
春、気持ちも新たに何かにチャレンジしたくなる季節ですね。『驚異の百科事典男』は、そんな季節にぴったりの本です。

著者はユダヤ系のニューヨーカー、アメリカの人気雑誌『エスクワィア』のジャーナリストです。子どもの頃は自分のことを「世界一頭がいい」と思い込んでいたのですが、大学卒業後、その自信はゆっくりと下降線をたどっていきます。エンターテインメント雑誌のライターとしてポップカルチャーには詳しくなっていくかわりに、大学で学んだことはすっかり抜け落ち、どんどん頭脳が劣化していっているように思えてきたのです。

そこで、著者は、「知識の最高峰」として「聳え立つエヴェレスト」である『ブリタニカ百科事典』を読破することを思い立ちます。全32巻、3万3千ページ、6万5千項目、積み上げた高さが125センチにもなる大部の事典を一年かけてAからZまで読むという挑戦です。

実は、このチャレンジは著者が高校生のときに彼のお父さんが始めたものでした。お父さんは勉強が大好きで、工学、経営学、法学の大学院を出ています。さらに医学大学院に行こうとして妻(著者の母)にそろそろ仕事をしたらどうかしらと言われてニューヨークの弁護士になったあとも、「余暇の筆すさびに」法律の専門書を24冊も出版している人です。そのお父さんでも、ブリタニカ読破プロジェクトはBの項で中断していたのです。

著者にはもう一人、かなわない存在がいました。妻ジュリーの兄エリックです。この人もまたとんでもなく優秀な頭脳を持つ人で、この人にかかっては、著者はまるで「道路で轢かれた小動物みたい」に扱われているように思えるのです。

そこで著者は、お父さんが達成できなかったプロジェクトを完遂して世界一頭がよくなって、義兄のエリックも見返してやるぞ!と決心したのです。

そういうわけで、本書は、『ブリタニカ』をAから読み始めて最後の項目に至るまでの一年間の記録なのですが、安心してください、当然ながら『ブリタニカ』をすべてなぞっているわけではありません。へええ~!という発見や、「意識していなかった文化的偏見を暴かれる」体験、そんなことが載っているの?と笑ってしまうようなことがらが、著者の日常生活とからめて紹介されていきます。

著者は『ブリタニカ』を読むのと並行して、頭のいい人たちを訪ねていったり、『ブリタニカ』を読破するために役立ちそうな講座を体験したりもします。人気のクイズ番組司会者に、学ぶということについての彼の哲学を尋ねたとき、「わたしはあらゆることに好奇心を覚える。興味を惹かれないことにもね。」という答えが返ってきたことに著者は感銘を受けます。でも、IQが高い人たちの集まりや、速読術や記憶術の体験講座では、頭がいいってどういうことだろう、これで頭が良くなるの?と著者も読者も首をひねることになります。

さすがは人気雑誌で筆を振るってきた人です。見開きに一回は思わず吹き出してしまうユーモアに溢れています。仕事以外の時間を『ブリタニカ』に捧げ(1日3-5時間も!)、旅先にも『ブリタニカ』を持っていき、仕入れた知識をついつい周りに披露してしまう夫の暴走を止める妻のジュリーの皮肉の利いた言葉も愉快です。

お父さんや義兄との関係は『ブリタニカ』を読むことでどう変化するのか、著者は『ブリタニカ』を読破することで何を得られたのか、果たして世界一頭は良くなるのか! 文庫版は本文だけで690ページありますが、チャレンジングな一年を一緒に追いかける読書は実に楽しい時間でした。

著者は、『ブリタニカ』プロジェクトのあと、聖書に忠実に生活してみるプロジェクトにも挑戦しています。そちらもたいへん面白いのでおすすめです。
A・J・ジェイコブズ『聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記』
驚異の百科事典男
世界一頭のいい人間になる!
A・J・ジェイコブズ (著), 黒原 敏行 (翻訳)
文藝春秋 (2005/8/3)
日々脳細胞が溶解していく恐怖にうちかつため、百科事典全巻3万3000ページの読破に挑戦した知識おたくの記録。トリビア情報満載 出典:amazon
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橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
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