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ヒトラーの馬を奪還せよ 美術探偵、ナチ地下世界を往く(アルテュール・ブラント )

まるでスパイ映画のようなノンフィクション

ヒトラーの馬を奪還せよ
美術探偵、ナチ地下世界を往く
アルテュール・ブラント (著), 安原 和見 (翻訳)
ヒトラーの馬と言っても、本物の馬ではありません。かつてベルリンの総統官邸の庭にあった一対の巨大な馬のブロンズ像です。ヒトラーお気に入りの彫刻家ヨーゼフ・トーラックが制作し、執務室の窓の下、つまりヒトラーが窓から庭園を眺めると必ず目に入る場所に置かれていたものです。

馬の像は他の彫刻とともに、連合軍による爆撃で瓦礫と化したと思われていました。ところが実は破壊を免れていて、極秘で売りに出されているという、にわかには信じがたい情報に本書の著者ブラント氏が接するところから、この話は始まります。

ブラント氏は、オランダの美術調査員で、盗品や行方不明の美術品をいくつも回収した実績から、「美術界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれています。ヒトラーの馬も、もし存在すればドイツの国有財産となるはずですが、今回はどうせ贋作に違いないと思いながらも調査を開始します。

美術品はその唯一無二の価値から盗難に遭うことが多いそうです。しかし、足も付きやすいため、売りさばくことが難しく、持て余した挙句に手放したいという依頼もまた多いそうです。とはいえ、高さ3メートル、重さ1トンを超える巨大なブロンズ像の一対です。いったい、いつ、誰が、どうやって運び出せたのでしょうか。そして、そんなものをどこに隠し持っていられるのでしょう。

ところが調べていくうちに、プラント氏は、馬の像は本当にあるのかもしれないと思い始めます。そこで彼は、架空のお金持ちの代理人を装って、馬の像を買い取るふりをして売り手の代理人に接触します。並行して、同僚や美術担当の警察官、ドイツ有力誌記者と協力して調査を進めます。スパイ映画か探偵映画さながらのスリルに満ちた捜索が展開されます。

ナチにまつわる記念品は人気が高く、レアなものになると高額な値がつきます。ましてや、今回の馬の像は、ヒトラーがお気に入りの彫刻家につくらせ、執務室から日々眺めていた像です。その価値は計り知れません。

調査を進めていくと、ドイツに侵攻したソ連軍が押収した品々には、戦利品としてソ連の美術館で堂々と展示されたもののほかに、外貨稼ぎのために極秘で西側のコレクターに売られてきたものがあったということもわかってきます。それにはソ連の秘密警察であるKGBや、東ドイツの秘密警察シュタージが関わっていたらしい…。となると、命を狙われる危険もあります。実際、馬の存在を知ったある人物が秘密警察に逮捕され、投獄されたのちに、不審な死を遂げたということもわかりました。

さらには、今回の馬の像の売買に関与しているとおぼしき人物を探っていく過程で、こうした品の売却益が、元ナチ党員の裁判支援や、ネオナチらの活動資金に充てられているらしいということもわかってきます。

もしも馬の像の捜査が進んでいることや、おとり売買を仕掛けようとしていることが漏れたら、今後、馬の像は闇市場にさえ出てくることはなくなるでしょう。慎重に慎重を期して調査を進めていたところ、大衆紙が動きをかぎつけて、あちこち鼻を突っ込んでくるようになります。もはや一刻の猶予もない、馬は見つかるのか、無事に押収できるのか!

まさに「事実は小説より奇なり」を地でゆく話です。最後の最後までハラハラドキドキが続きます。ブラント氏の文章はテンポがよく、ユーモアもふんだんに散りばめられていて、上質のミステリ小説以上の興奮を体験できます。

なお、ブラント氏は、このほかにも、キプロスで盗まれた6世紀のモザイク画や、フランスの修道院から盗まれたキリストの聖血が収められているとされる聖遺物箱、2020年に盗まれたゴッホの作品など、行方不明となっていた貴重な美術品を次々に回収しています。これらもいつか本にしてほしいと熱望します。
ヒトラーの馬を奪還せよ
美術探偵、ナチ地下世界を往く
アルテュール・ブラント (著), 安原 和見 (翻訳)
筑摩書房
第二次大戦時、ヒトラー総統の官邸前には高さ3メートルを超える一対の馬が偉容を誇っていた。ナチスお抱えの名匠の手になるブロンズ像の傑作だ。ベルリン陥落時に破壊されたと信じられていたその「馬」が、密かに売りに出されているという。 重さ1トンの巨像が数十年ものあいだ、誰にも知られず隠しおおせるはずがない。半信半疑で調査にとりかかった著者の前に現れる怪しい人脈。元秘密警察、旧ソ連KGB、謎の大富豪、ネオナチ……まさか、この「馬」は本物なのか?! 出典:amazon
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橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
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