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フリードル先生とテレジンの子どもたち(野村路子)他

テレジンの小さな芸術家たち

フリードル先生とテレジンの子どもたち
ナチスの収容所にのこされた4000枚の絵
野村 路子 (著)

改訂新装版
テレジンの子どもたちから
ナチスに隠れて出された雑誌『VEDEM』より
林幸子 (著, 編集)
1998年冬、チェコ共和国の首都プラハのユダヤ人街にある博物館を訪れたとき、子どもたちの絵が展示されているのを見ました。作者の生没年をみると、みな10代前半に亡くなっているのが印象に残っています。これらの絵は、ナチ・ドイツがチェコを占領していたときに、テレジン(チェコ語の発音ではテレジーン)という街に設けたユダヤ人ゲットーで密かに生み出された作品でした。

テレジンはプラハから北に60キロほどのところにあります。18世紀、まだチェコがハプスブルク帝国の領内だった時代に、要塞として造られた街です。川を挟んで大小2つの部分からなります。もともと政治犯などを収容する監獄に使われたのが小要塞で、兵舎が並んでいて街の機能をもっていたのが大要塞です。

大要塞は、面積がおよそ4平方キロメートルほどです。そこに、最大時で5万人ともいわれるユダヤ人が強制的に住まわされ、強制労働に従事させられました。10歳を超えた子どもは親と分けられ、やはり畑仕事や肉体労働などを強制されました。

テレジンの大人たちは、子どもたちが少しでも教育を受けられるよう、当局に掛け合いました。何度かの懇請で、週に一度、遊びと歌だけが許されました。その時間を使って、大人たちは密かに教室を開くことにしました。テレジンには多数の文化人が集められており、何人もの一流の芸術家や学者が教師役に名乗りを上げました。

その一人が、“フリードル先生”ことフリードル・ディッカー=ブランダイス(Friedl Dicker-Brandeis 1898-1944)です。フリードル先生は、ウィーン生まれのユダヤ人画家、デザイナーでした。ウィーンで美術を学んだのち、1919年にドイツのワイマールに創設された芸術運動の拠点バウハウスで学んだのち、アーティスト、デザイナーとして活躍していました。1930年代に、ナチ政権によるユダヤ人への弾圧が激しくなったためプラハに移りますが、チェコもドイツの保護領にされてしまいます(1939年)。そうして、チェコでもゲットーや収容所への強制移住、移送が始まりました。1942年、フリードル先生もテレジンに移送されます。

モンテッソーリ幼稚園で美術教育にも携わっていたことのあるフリードル先生は、子どもたちに絵を描くことを通して、美しいもの、幸せな日々を思い出させました。それは子どもたちの心を癒し、生きる気力を保たせました。大人たちも監視の目を盗んで紙や筆記用具などを集め、子どもたちの創作活動に協力しました。しかし、フリードル先生も子どもたちも、次々にアウシュヴィッツなど他の収容所へ移送され、ほとんどが殺されてしまいました。テレジンに収容されたユダヤ人の子どもは約1万5千人いましたが、生還できたのは100人ほどでした。

子どもたちが描いた4,000枚にのぼる作品は、1980年代後半以降、プラハのユダヤ博物館で展示されています。それを見たノンフィクション作家の野村路子さんが中心となって、日本でも全国各地で展覧会が開催されました。展覧会は現在も続いています。

さて、テレジンでは、フリードル先生の絵画教室以外にも、子どもたちによる創作活動が行われていました。そのなかでもよく知られているのが、『VEDEM』(ヴェデム)という雑誌です(こちらで閲覧できます)。年長(13-15歳)の男の子たちが発行していた『ヴェデム』は、1942年末から、ほぼ毎週発行されました。総ページ数は800ページにのぼります。雑誌といっても一号一冊きりのものですが、質の高い論文やコラム、詩、お話、挿絵で構成されていて、みんなに回し読みされたそうです。そのような活動は、本来禁止されていましたが、過密状態のテレジンでは監視の目が行き届かないこともあって、発覚せずに済んだそうです。

『ヴェデム』は少年たちが自主的に制作した雑誌ですが、彼らを指導、監督したヴァルトゥル・アイシンゲル先生(Valtr Eisinger 1913-1944)の存在を抜きには語れません。アイシンゲル先生は、子どもたちと同じ部屋で寝起きを共にし、哲学や詩を語り、一緒にサッカーを楽しみました。先生の存在が、それぞれバラバラの環境で育ってきた少年たちによる共同生活体をつくることを可能にしたのだと生存者の方は語っています。

雑誌作りに携わった少年たちも、次々にアウシュヴィッツ等に移送されて殺されましたが、最後までテレジンに残ることができた少年が隠しきったおかげで、『ヴェデム』は今に伝えられています。日本では、上述の子どもたちの絵を紹介する展覧会でテレジンを知った林幸子さんが、テレジンにあるゲットー博物館を訪ねて『ヴェデム』の存在を知り、日本に紹介されました。

野村さんや林さんの著書では、子どもたちの作品との出会いから、作品の詳細、子どもたちを支えた大人たちの存在、当時を知る方々に直接聞いた話などが詳しく紹介されています。私も2023年夏にテレジンを訪れた記録をブログに載せています。そちらも併せてご覧いただければと思います。
フリードル先生とテレジンの子どもたち
ナチスの収容所にのこされた4000枚の絵
野村 路子 (著)
第三文明社 (2011)
テレジンに送られた子どもたち1万5000人の中で生き残ることができたのは、たったの100人―「地獄の控室」と呼ばれた収容所でフリードルと子どもたちが描いた命のメッセージ。奇跡的に生き残った人びとの証言が描き出す現代史の深き闇と光 出典:amazon

改訂新装版
テレジンの子どもたちから
ナチスに隠れて出された雑誌『VEDEM』より
林幸子 (著, 編集)
新評論; 改訂新装版 (2021)
だれかに伝えたい!戦後76年、「世界平和への道は今のままでいいのですか?」と、子どもたちが叫んでいる!『VEDEM』をカラーで掲載(口絵)。
出典:amazon
profile
橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
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