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土の記(高村薫)

「自分らしく生きる」難しさ

土の記
高村薫(著)
“自分らしく生きる”

と言ってもなかなか難しいことがあります。

他者との関係の上に生活が成っているので、無意識に我慢していることや、意識しても変えられないこともあります。

ある時“イネイブラー”を知っているかと聞かれました。イネイブラーとは、依存症の症状を助長してしまう身近な人のことです。

例えばアルコール依存症の場合、本人だけでなく家族全員でカウンセリングを受ける必要がある。症状が本人の問題だけではなく周囲との関係性からきているためです。

依存症までいかなくても誰にでもストレスはありますし、家族にしかわからない積もるものもあります。

「土の記」は一族の宿命と歪みが描かれており、胸に重くのしかかる一冊でした。

妻の介護を終えた70過ぎの伊佐夫が主人公です。器量のいい妻の昭代が不貞を働いていることを知りつつ、婿養子の気遣いから、事を大きくしないで暮らしていました。

原付に乗った妻がノーブレーキでダンプカーに激突したのが不可解で、事故ではなく自殺だったかもしれない、と思う伊佐夫。

事故後、植物状態となり16年という長い介護を夫に強いたのは積年のメッセージのよう。さらには、役目を終えた伊佐夫に徐々に痴呆の症状が現れます。

(『土の記』下巻:p.180より)
ストレッチャーの上には血だらけの昭代がおり、伊佐夫は運び込まれてゆく妻を見送る亭主になっている。当時、工場から駆けつけた自分が搬送を見ていないことは頭のどこかで理解しながら、伊佐夫は見たはずのない昭代の姿を繰り返し、繰り返し見る。…

十七年前の哀れな亭主から七十三歳の隠れ脳梗塞の老いぼれへ、あるいはその逆へとくるり、くるり入れ替わる。…ほら昭代、今度はぼくの番だなあ―と。
伊佐夫の生き方は一見受け身に見えましたが、読み進めると「土」と言うキーワードが浮かびます。

昔から土いじりが好きだったこともあり、昭代の家が持つ山に呼び寄せられたのではないか―

妻を看取った後も畑仕事に生きがいを感じます。

老いの中でこそ実感する「生」があるのか?

16年の介護生活も、妻との関係に悩んだことも全て受け入れてきた。それが伊佐夫の自分らしさだと思います。

映画やドラマのように劇的な物語でないところが、返ってリアルな読後感を残しました。
土の記
高村薫(著)
新潮社
東京の大学を出て関西の大手メーカーに就職し、奈良県は大宇陀の旧家の婿養子となった伊佐夫。特筆すべきことは何もない田舎の暮らしが、ほんとうは薄氷を踏むように脆いものであったのは、夫のせいか、妻のせいか。その妻を交通事故で失い、古希を迎えた伊佐夫は、残された棚田で黙々と米をつくる。 出典:amazon
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植木 美帆
チェリスト

兵庫県出身。チェリスト。大阪音楽大学音楽学部卒業。同大学教育助手を経てドイツ、ミュンヘンに留学。帰国後は演奏活動と共に、大阪音楽大学音楽院の講師として後進の指導にあたっている。「クラシックをより身近に!」との思いより、自らの言葉で語りかけるコンサートは多くの反響を呼んでいる。
Ave Maria
Favorite Cello Collection

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