福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇(辻野弥生)
なかったことにはしない 福田村事件
関東大震災・知られざる悲劇 辻野弥生(著) 1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災から100年の今年、混乱のなかで生じた数々の事件が注目されています。そのひとつを調査し、詳らかにした辻野弥生さんの『福田村事件』も、10年ぶりに大幅な増補改訂のうえ復刊されました。
震災発生後、不安と憎悪にかられた人々による虐殺事件が各地で発生しました。殺害された人びとの多くは朝鮮人でしたが、そうした虐殺は、朝鮮人が「井戸に毒を入れている」とか「火をつけて回っている」といった流言蜚語(デマ)によって正当化されました。朝鮮人に間違えられた中国人や障害者も殺害されたことがわかっています。(ちなみに警察や憲兵は、こうした混乱に乗じて、社会主義者や社会運動家らを殺害しています。) 本書があつかう福田村事件では日本人が殺害されました。震災から5日後、千葉県の福田村に香川県から来ていた薬の行商人一行15人のうち幼児3人と妊婦を含む9人が素性を怪しまれ、福田村と隣村の田中村の住民に惨殺されたのです。 著者の辻野弥生さんは、1999年、千葉県の流山市立博物館友の会が毎年発行している『東葛流山研究』に、流山で起こった朝鮮人虐殺事件を取り上げるべく調査を始めました。すると、ある人から、福田村(現在の野田市)で起こった虐殺事件についても書いてほしいと資料を託されます。 辻野さんは、このとき初めて事件のことを知って驚愕します。さっそく福田村事件の調査も開始しますが、地元図書館にも、事件を活字にしたものがまったく見当たりません。方々に取材の電話をしても怒鳴られて切られたり、連絡が取れた人とも音信が途絶えたりと調査は難航します。事件現場近くのお寺の住職が、辻野さんの懇請にようやく重い口を開いてくれましたが、現地での取材では、なかなか証言が得られなかったそうです。 そこで、辻野さんは千葉県立図書館に通って、当時の新聞記事をしらみつぶしに読みました。そうすると、次第に事件の概要と裁判のあらましが見えてきました。 さらに辻野さんは、「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」(1987年結成)と、被害者らの出身地である香川県の歴史教育者協議会とが連携して、勉強会や啓発運動、慰霊碑建立活動に尽力していることを知ります。辻野さんの著書には、香川県側で調査を続けてきた石井雍大さんの調査結果も反映されています。 事件ののち、直接の加害者8人は実刑判決を受けたものの、すぐに恩赦で釈放されました。彼らとその家族には、村から見舞金が出され、農作業の支援も行われたという記録が残っています。一方で、被害者らの地元では、この事件に関わる資料はほとんどありません。被害者ら一行が被差別部落出身であったことや、行商人に対する職業差別も重なって、抗議の声を上げることができなかったのではないかと推測されています。こうして福田村事件は忘れ去られていたのです。 映画「福田村事件」は、関東大震災100年に合わせて公開され、反響を呼んでいます。上映館も増え、ロングランとなりました。監督の森達也さんは、事件現場近くでの慰霊碑建立(2003年)を伝える小さな新聞記事を目にして関心を持ち、映像化を構想したそうです。辻野さんは、自著と映画という二つの記録によって、この負の歴史が「刻印」されたと「おわりに」で書かれています。 映画のパンフレットには、千葉県野田市で福田村事件の真相解明や慰霊碑建立に尽力されてきた市川正廣さんと映画の脚本を担当した佐伯俊道さんとの対談が掲載されています。そのなかで市川さんは、史実との違いをいくつか指摘し、映画の影響力を考えると、映画のストーリーが史実だと思う人が出るのではないかということを懸念されています。 森監督も、辻野さんの著書へ寄稿し、映画は史実をもとにしてはいるもののフィクションである、つまり架空の登場人物らのストーリーは創作であるし、エンタメの要素も強いと明言しています。だからこそ、精密に資料に当たり、現地を確認し、多くの人に話を聞いて編まれたこの本は重要なのだと言っています。 「過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ」という監督の言葉は、福田村事件のみならず普遍的なものであると思います。本書と映画をぜひ併せてご覧ください。 福田村事件
関東大震災・知られざる悲劇 辻野弥生(著) 五月書房新社 四国から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをかけられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む9名が殺害された。映画『福田村事件』(森達也監修)が依拠した史科書籍。長きに渡るタブー事件を掘り起こした名著。 出典:amazon 橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授 同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。 BLOG:http://chekosan.exblog.jp/ Facebook:nobuko.hashimoto.566 ⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら |