あん(ドリアン助川)
昔の話ではなく私たちの生きる現代が舞台 あん
ドリアン助川(著) 主人公の千太郎は、来る日も来る日も、鉄板の前で、どら焼きを焼いています。どら焼き屋は、前科をもつ千太郎の借金を肩代わりしてくれた恩人の店でした。恩人亡きあと、千太郎が商売を引き継いだのです。恩義と、未亡人への借金返済のため、休日もとらずに働いていますが、甘いものよりお酒の方が好きな彼は、仕事に情熱を持てません。
ある日、体が少し不自由で指も曲がっている高齢の女性、吉井徳江が、アルバイト募集の貼り紙を見て、雇ってほしいとやってきます。彼女にはとうてい無理だろうと断るのですが、再度やってきた彼女が持参した手製のあんのおいしさに千太郎は衝撃を受けます。安い時給で、製あんだけ手伝ってもらえば、売り上げも増えて、借金を早く返せるかもしれない。そんな打算から、千太郎は申し出を受けることにしました。 徳江のつくる絶品のあんは、すぐに評判になります。開店前のあん作りだけ手伝うはずだった徳江は、居残って客に話しかけるようになります。常連の女子高生たちは、彼女との会話も楽しみにするようになり、店は繁盛します。千太郎も、彼女のあん作りにかける真摯な態度に感化され、仕事への姿勢が変わっていきます。 ところが、ある時から急に客足が引いていきます。徳江の曲がった指や体の動きを見た客から、彼女がハンセン病を患ったことがあるらしいと噂がたったようなのです。状況を察した徳江は自ら退職を申し出ます。 徳江が去った店は、ふたたび閑古鳥が鳴くようになりました。未亡人からは業種替えを提案されますが、どら焼きにこだわるようになった千太郎は、ぎりぎりまで粘ろうとします。彼は、療養所に暮らす徳江を訪ね、彼女の人生を知り、自分の進む道を模索します。 本書に登場するハンセン病は、感染力はごくごく弱く、死に至る病ではありません。しかし、衛生状態や栄養状態、特効薬がなかった時代には、病状が進むと関節が曲がったり、体の一部の形状が変わったりすることもあり、恐れられ、忌避されてきました。原因がわかるまでは、業病(前世の悪行の報いでかかる病)などと言われ、差別の対象にされてきました。 1873年にノルウェーの医師ハンセン氏が、病気の原因となるらい菌を発見し、1943年にはアメリカで特効薬が開発され、ハンセン病は完治する病気となりました。 さて、ハンセン病患者に対して、日本では、明治時代に隔離政策が採られました。患者は療養所に閉じ込められ、子孫を残さないよう、断種や避妊手術を強制されました。隔離政策を定めた「らい予防法」が廃止されたのはようやく1996年、国家による賠償が認められたのは2001年です。2019年には、熊本地裁が、隔離政策で家族が差別や偏見を受けた被害を認め、国に賠償を命じた判決を出しています。 しかし、感染の可能性がほとんどなく、特効薬ができて完治する病気となり、国の政策の誤りが公的に認められた今でも偏見や誤解は残っていると、元患者や家族は訴えています。『あん』も、昔の話ではなく、私たちの生きる現代が舞台です。 なにかになれなくても、世のため人のため働けなくても、子をなさなくても、生まれてきた意味はある。そう語る徳江の人生は、千太郎の人生に強く優しいなにかを残していきました。 河瀨直美監督の映画「あん」は、主演の樹木希林さんと永瀬正敏さんが、原作のイメージを壊さず、大切に演じられています。原作を読まれたら、映画もぜひ。映画を観られた方は、ぜひ原作も手に取ってみてください。 橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師 同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。 BLOG:http://chekosan.exblog.jp/ Facebook:nobuko.hashimoto.566 ⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら |