自閉症は津軽弁を話さない(松本敏治)
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![]() 目の前の事実や経験から考える大切さ 自閉症は津軽弁を話さない
自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く 松本敏治(著) 著者の松本敏治さんは、障害児心理学を専門とする研究者で、特別支援教育にも携わってきた方です。
ある日、臨床発達心理士の妻が、仕事終わりのビールを味わいながら、「あのさぁ、自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」ともらします。この一言を発端に始まった著者の10年近くにわたる研究を紹介したのが本書です。 青森県津軽地域で乳幼児健診に長年かかわってきた妻のこの一言に、松本さんは反論しました。それは津軽弁をしゃべらないのではなく、自閉症の音声的特徴の影響によって、方言が方言らしく聞こえないのだろうと軽くいなします。 ところが、妻は、音声の話だけではなく方言そのものをしゃべらないし、津軽弁をしゃべらない子どもは自閉傾向があることは津軽地域で自閉症にかかわっている人のあいだでは共通認識になっている、と気色ばんで反論します。 松本さんは、「自閉症の子は方言を話しているように聞こえない」というのはいいとしても、「津軽弁を話さないから自閉症」という判断は危険だ、あなたがそんな有害な噂を振りまいているのではないかと言ってしまい、妻の怒りを買います。 そこで、松本さんは、特別支援学校の先生方に、そのような噂を聞いたことがあるか、その噂は本当だと思うかを尋ねてみました。すると、妻の主張に賛同する声ばかり。 松本さんとしては、方言使用がないことを自閉症の判断基準にするのは危険だと考え、そのような「誤解」は解かねばならないと考えました。相談を持ちかけた研究者仲間にも背中を押され、きちんと解明しようということになりました。 まずは噂の調査から開始です。まず発達障害児の教育や療育等にかかわりのある方々へアンケートをとったところ、妻の主張が見事に支持されました。どうやら津軽地域では、自閉症児者(以下ASD)は方言を話さないという認識があることがわかります。 しかし、これだけではイントネーション(音声的な特徴)にとどまるだけのことかもしれないし、方言使用の度合いの高い津軽地域だけの認識かもしれません。 そこで、地理的な範囲を広げ、その地域全体における方言使用の状況、ASDと知的障害児者との方言使用の比較について、より本格的な調査を行っていきます。 そうすると、津軽地域に限らず、全国的に、ASDは、その他の知的障害児者と比較して、方言をほとんど使用しないという事実が明らかになりました。しかも、音声的特徴だけではなく、語彙や語尾変化などにおいても方言が現れないことがわかったのです。 松本さんは、調査結果を学会等で発表します。発達障害の研究者からは、既存の解釈や仮説を根拠に、「あたりまえだ」「理由はこれこれだ」という反応がありました。しかし、それでは説明のつかないことが残るのです。 そこで、松本さんの思索は次の段階に進みます。つまり、なぜASDは方言を話さないのかという原因の探究です。 ここでは、ASDの障害の特徴、特に言語的特徴や言語習得の特徴、方言と共通語の特性と機能の違い等を整理したうえで、ASDが苦手とする「意図を読む」ことが方言使用の有無と深く関わっていることが明らかにされていきます。 自閉傾向が強いほど方言を使わないという事実が調査によって裏付けられていく過程はたいへん興味深いものです。そして、後半では、その理由を私たち素人にも理解できるようにていねいに説明してくれているので、謎解き小説を楽しむように読み切ってしまいました。(とはいえ、素人がはしょって要約すると誤解のもとなので、詳しくは本書を通して読んでくださいね!) でも、なによりも、松本さんの妻に代表される、地元で現場に深く関わっている人びとの観察や「常識」のほうが正しかったことが明らかになってゆくところに本書の面白さと学ぶべき点があるでしょう。 ASDの人たちが方言を使わないという現象を知っていた専門家は、「あたりまえだ」と言いながら「なぜだろう」とは思わず、メカニズムを解明しようともしていませんでした。なかには「言語発達の理論から考えて、ありえない」と現実の方を否定する方もいたそうです。 松本さんは、疑問を解明するうえで、心理学や発達障害のエリアを超えて、方言研究者や言語学者の助言を得ます。そのことが行き詰まりを大きく開いてくれたのです。 既存の常識や理論に合うように現実を解釈するのではなく、目の前にある事実や相手と向き合うことで得られる知識や経験から考えることの大切さを教えてくれる一冊でした。 かくして、松本家の夫婦喧嘩は、松本さんの妻に軍配が上がりました。妻は、勝利の美酒に酔いながら、一言、「したはんで、言ったべさ」。 自閉症は津軽弁を話さない
自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く 松本敏治(著) 角川ソフィア文庫 2020年 「今日の健診でみた自閉症の子も、お母さんバリバリの津軽弁なのに、本人は津軽弁しゃべんないのさ」―津軽地域で乳幼児健診にかかわる妻が語った一言。「じゃあ、ちゃんと調べてやる」。こんなきっかけで始まった「自閉症と方言」研究は10年に及び、関係者を驚かせる結果をもたらすものとなった。方言の社会的機能を「意図」というキーワードで整理するなかで見えてきた、自閉症児のコミュニケーションの特異性に迫る。 出典:amazon ![]() 橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師 同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。 BLOG:http://chekosan.exblog.jp/ Facebook:nobuko.hashimoto.566 ⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら |