生くる(執行草舟)(二)
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![]() 大切なものほど目には見えない。一片の赤誠、そして音楽も 生くる
執行 草舟 (著) 前回に続き「生くる」の続編です。
(本文より) 一片の赤誠 人生は何があるのか誰にもわからない。何が本当に良いのか、何が本当に悪いのかすら難しい。不幸が幸福の源泉ともなり、幸福が不幸の原因ともなり得る。努力して努力して、道を間違える人は後を絶たない。同じことをしていても、結果が吉と出る人もいれば凶と出る人もいる。~ 私のような危険きわまりない人間が、道を踏みはずすこともなく、どうしてまともな社会人となって、少しは社会や他者の役に立つ人間になれたのか。考えを巡らすと、いつでも、これだ、これしかないと思うことが一つだけ浮かぶ。それを「一片(いっぺん)の赤誠(せきせい)」と私は表現している。 「一片の赤誠」。
この言葉が深く胸に響きました。 そして、読み進めるうちに、まるで身体の一部であるかのように感じたのです。 (本文より) 自分を見限り、何もかも嫌になった時、指一本ぎりぎりのところで、私を支えてくれたものは、知性でもなく、忠や孝といった高尚なものでもなかった。もちろん、思想や哲学でもない。ほんの少し、ほんの少しの人の情(なさけ)だけだった。~ その記憶を一片の赤誠と呼んでいるのだが、一片と名付けたようにほんのちょっとしたことなのだ。知を巡らすことのない、無垢な心をもつ赤子のような誠としか言えない。 人の情に触れて、ひたすらに泣いた記憶だ。~ 人の情に対する気持ちだけが、いつでも自分を底辺でがっちりと支えてくれた。自分の存在意義を深く教えてくれたのだ。 私にとって、一片の赤誠とは…。
何よりも思い起こされることがあります。 16歳で母を亡くした時、受け入れ難い事実と悲しみ、経験したことのない喪失感に襲われました。 どうしていいか分からず途方に暮れていた私に、知人や友人、親戚、周囲の方々が温かく手を差し伸べてくれたこと、今でも思い出すたび、涙があふれます。 その励ましがどれほど力になったか。 皆の支えなしに今の自分は存在しません。 (本文より) 人の親切を受け、それを感ずれば、如何なる人も必ず親切な人物へと変貌していく。 人格形成にとって重大な要素は、かえって日常の中で知らず知らずに他者から受け取り、社会的に受け継がれていくものなのだと感じている。一片の赤誠となり得る人の情はこの世に遍満している。あとは本人が受け取り育てるかどうかの問題となる。一片の情を受けるがよい、そこからすべてが生まれるのだ。 さて、一片の赤誠から聴こえてくる音楽があります。
ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」第一幕への前奏曲です。 騎士トリスタンと、イゾルデ姫の許されざる愛の悲劇。無限に広がる旋律のうねりが、二人の愛と、忍び寄る死を、示唆しているかのようです。 ワーグナーの音楽を聴くと、人間の内側に耳を澄ましているような、そして、自分の根幹を探るような錯覚に陥ります。 次々に展開される温かく、そして重厚な響き。これまで受けた恩恵が、走馬灯のように駆け巡ります。初めて「死」に直面し、生きることの尊さを実感した日を、かみ締めています。 「大切なものほど目には見えない」 ある人が気付かせてくれた言葉です。 一片の赤誠、そして音楽もそうではないかと思っています。 ![]() ![]() 植木 美帆
チェリスト 兵庫県出身。チェリスト。大阪音楽大学音楽学部卒業。同大学教育助手を経てドイツ、ミュンヘンに留学。帰国後は演奏活動と共に、大阪音楽大学音楽院の講師として後進の指導にあたっている。「クラシックをより身近に!」との思いより、自らの言葉で語りかけるコンサートは多くの反響を呼んでいる。 HP:http://www.mihoueki.com BLOG:http://ameblo.jp/uekimiho/ ⇒PROページ ⇒関西ウーマンインタビュー記事 |