生くる(執行草舟)(一)
「自信を持つ」という誤解 生くる
執行 草舟 (著) 壁に当たった時、必ず手に取る本です。
「生くる」と言う題名の通り、どう生きればいいのかを指南してくれます。 「悩みについて」や、「判断力について」、「自分の時間とはなにか」など、膨大な読書量とさまざまな研究を重ねられた、著者である執行さんが丁寧に説いてくれます。 今回はその中でも特に思い出深い、“自信とは何か”についてご紹介したいと思います。 (本文より) 自信を持てば、破滅が始まる 現代は、自信に塗(まみ)れている。各企業は社員たちに対して、企業活動に自信を持たせようとする。教育現場においては、子どもたちに対して、幼児から自信を持たせようとして必死になっている。~ 今の社会のあり方は、人間性を無視して、自信と呼ばれる暴力的な狂信を植えつけようとしているとしか思えない。自信は、人間が持ってはならないものだとされていた本来の姿が忘れられている。ここが、完全に引っくり返ってしまった。~ 自信とは自ら持つものではなく、他者から与えられる一つの評価基準を言う。自分が持つものではなく、他人が持つ思いなのだ。 私は、とにかくずっと自信がありませんでした。
「自信は持てるものだ」と誤解していたのです。 チェロを弾くことを職業としていますが、以前は練習できない日があると、不安で不安で仕方なく、大きなストレスを感じていました。 楽器に触れない日があると、下手になるんじゃないか、指が退化してしまわないか、と怖くなる。 帰宅すれば、どんなに疲れていようと練習。 当時は「練習時間を見つけるところから、練習が始まっている」という考えが己の中心でした。 疲れて練習しても、大して効果がないのに、事もあろうに「練習している状態」に満足している、といった、本末転倒な状況に陥っていました。 しかし全ては「自信をつける」ために行っていたことです。 (本文より) 自信を持とうとしている人は、本当は他人を羨んでいるのだ。他人と比較して、自分を偉いものだと思いたがっている。つまり、卑屈なのだ。 ただ一途に、ひたむきに生きようとする者にとって、最も障害となるのが他人との比較である。比較が傲慢と卑屈を生む。 ひたむきな生き方は、自分に与えられた環境を全面的に受け入れれば、誰にでもできる。自信などまるっきり必要ない。それどころか邪魔でしかない。そんなもののために、如何に多くの人が足踏みしているか。 卑屈と傲慢。
何度読み返しても、胸に刺さります。 気付かぬうちに、自ら招いた罠にはまっていました。 そして、徐々に自己変革に向かいます。 (本文より) 失敗したら、次には失敗しまいと思って進む。成功したら、成功の中にある不満足な点を見つけ出して改革していく。何が起こっても、自信など持たずに進んでいく。 はじめから自信など持たなければ、決して自信喪失はない。如何なる不満があっても、乗り越えればよい。~ 前進前進、改革改革、創意創意、工夫工夫。いつでも今が出発である。 『前進前進、改革改革、創意創意、工夫工夫』
特に好きな部分です。 余計なことを考えずに、できることを一つずつクリアしていく。 以前の自分よりも、ずっと自然で、私らしく生きられる。 ふさいでいた気持ちが前向きになった時、ベートーヴェンが聴きたくなりました。 ヴァイオリン協奏曲ニ長調は、特に好きな曲です。 36歳の脂が乗った時期に書かれた傑作。 ドイツ留学中はコンサートプログラムにこの曲が載っていると、必ずと言っていいほど足を運びました。 どんな曲かというと、ベートーヴェンの優しい心に触れるような曲です。 武骨で気性の荒いイメージがありますが、人一倍繊細で、温かい人だったと思っています。 厳しいことを言える人ほど、誰よりも思いやり深く、涙を知っている。 「本質にしか興味がない人だった」 どこかで読んだ言葉ですが、自分を見つめる時に聴きたくなるのは、そういった部分に反応しているのかもしれません。 「生くる」とベートーヴェンは、今日も私を支えています。 植木 美帆
チェリスト 兵庫県出身。チェリスト。大阪音楽大学音楽学部卒業。同大学教育助手を経てドイツ、ミュンヘンに留学。帰国後は演奏活動と共に、大阪音楽大学音楽院の講師として後進の指導にあたっている。「クラシックをより身近に!」との思いより、自らの言葉で語りかけるコンサートは多くの反響を呼んでいる。 HP:http://www.mihoueki.com BLOG:http://ameblo.jp/uekimiho/ ⇒PROページ ⇒関西ウーマンインタビュー記事 |