丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2023-07-12
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
音楽の言葉 |
関西では蒸し暑い日々の続く7月ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私達それぞれが、少しでも心地よさのための工夫を考えながら過ごさなければいけないようですね。
そのような中、私にとっては、趣味の音楽は相変わらず心の拠り所で、学曲を演奏できるようになるための練習、またプロの演奏家の方々のコンサートに足を運ぶ非日常のお楽しみは、生活全体のリズムの中で不可欠な位置を占めています。
「音楽は心の言語」とも言われていますが、大きな意味で、言語に携わっている立場からしますと、それはとても興味深い表現の一つでもあります。
「音楽言語」とは一体何なのでしょうか。少なくともそれは人間の持つ感情や情緒を表現する言語であることに間違いはないようです。
では、音楽を通してその「音楽言語」の表す感情を我々は経験できるのでしょうか。もしくは、もうすでに私たちが過去のどこかで味わった感情は、「音楽言語」を通して再び引き出されるのでしょうか。
私は音楽経験とは、実は、その両方の事なのではないかと感じます。
例えば、どこかで一度経験して眠っていた感情が、音楽に流れる「音楽言語」によって呼び戻され、その眠っていた感情を音楽経験でもう一度味わう。そこに共感が起こるからこそ感動するのではないかと思うのです。
作曲家は、過去に経験した感情、それが仮に、喜びや哀しみといったものであれば、それぞれの独自の「音楽言語」を使い、それらを再現する。演奏者達はまた独自の「音楽言語」を使ってそれを引き継ぐ。聴き手は、それらの感情を共感という形で再びパーソナルに経験する。この自分自身の内部で産まれるパーソナルな共感こそが、先の感情の記憶をさらに深いものとして心の奥にとどめるのではないかという気がするのです。
だからこそ、「音楽言語」とは、聴き手、演奏者が感情をリアルに経験することなしには、そして音楽にある「それ」に共感する事なしには成熟しないものなのかもしれません。「音楽言語」の習得と成熟、それは長い間かかるプロセスとしてしか起こりようがないでしょうし、そこには、他の言語の同様に、「文法」、理論、法則やルールも存在します。また、演奏する場合は練習を重ねながら地道にテクニックを習得しなければ正確に「発音」できない場合もあります。まさにそれは語学習得のプロセスと同じで、非常に興味深い点でもあります。
「音楽言語」、その根底にあるのは、感情への「共感」という人類が持つ特有の素質であり、それに支えられているからこそ、共通言語として存在するのではないでしょうか。
「音楽言語」習得に近道はないでしょうが、私も、少しでもそこに近づくため、感情を経験し、感情移入を恐れず、そして共感することにもオープンであり続けたいと思います。
私達それぞれが、少しでも心地よさのための工夫を考えながら過ごさなければいけないようですね。
そのような中、私にとっては、趣味の音楽は相変わらず心の拠り所で、学曲を演奏できるようになるための練習、またプロの演奏家の方々のコンサートに足を運ぶ非日常のお楽しみは、生活全体のリズムの中で不可欠な位置を占めています。
「音楽は心の言語」とも言われていますが、大きな意味で、言語に携わっている立場からしますと、それはとても興味深い表現の一つでもあります。
「音楽言語」とは一体何なのでしょうか。少なくともそれは人間の持つ感情や情緒を表現する言語であることに間違いはないようです。
では、音楽を通してその「音楽言語」の表す感情を我々は経験できるのでしょうか。もしくは、もうすでに私たちが過去のどこかで味わった感情は、「音楽言語」を通して再び引き出されるのでしょうか。
私は音楽経験とは、実は、その両方の事なのではないかと感じます。
例えば、どこかで一度経験して眠っていた感情が、音楽に流れる「音楽言語」によって呼び戻され、その眠っていた感情を音楽経験でもう一度味わう。そこに共感が起こるからこそ感動するのではないかと思うのです。
作曲家は、過去に経験した感情、それが仮に、喜びや哀しみといったものであれば、それぞれの独自の「音楽言語」を使い、それらを再現する。演奏者達はまた独自の「音楽言語」を使ってそれを引き継ぐ。聴き手は、それらの感情を共感という形で再びパーソナルに経験する。この自分自身の内部で産まれるパーソナルな共感こそが、先の感情の記憶をさらに深いものとして心の奥にとどめるのではないかという気がするのです。
だからこそ、「音楽言語」とは、聴き手、演奏者が感情をリアルに経験することなしには、そして音楽にある「それ」に共感する事なしには成熟しないものなのかもしれません。「音楽言語」の習得と成熟、それは長い間かかるプロセスとしてしか起こりようがないでしょうし、そこには、他の言語の同様に、「文法」、理論、法則やルールも存在します。また、演奏する場合は練習を重ねながら地道にテクニックを習得しなければ正確に「発音」できない場合もあります。まさにそれは語学習得のプロセスと同じで、非常に興味深い点でもあります。
「音楽言語」、その根底にあるのは、感情への「共感」という人類が持つ特有の素質であり、それに支えられているからこそ、共通言語として存在するのではないでしょうか。
「音楽言語」習得に近道はないでしょうが、私も、少しでもそこに近づくため、感情を経験し、感情移入を恐れず、そして共感することにもオープンであり続けたいと思います。
バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ
バイリンガルライフコーチ
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
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