丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2020-08-12
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
表現 |
皆様、8月をいかがお過ごしですか。この「特別な夏」の捉え方は皆さん様々だと思います。
各地、各業界で色々なイベントがキャンセルされたり、また特別な思いで試行錯誤の中開催を決定されたりという話を聞きます。イベントに限らず余暇や趣味の楽しみ方まで変化を強いられるのも当然のようです。
私自身、コンサートホールに足を運ぶのが楽しみの一つである(あった)のですが、音楽業界、エンターテイメント業界も現在の大きな変化の中、いまだかつてない課題を抱えているようで胸が痛みます。
春以降国内外のコンサートがほぼ全てキャンセルを強いられた中、とあるピアノリサイタルが春からの延期の末、大阪で開催されました。
正直、この演奏者をあまり存じ上げていなかったこともあり、この状況下、私も行くかどうか迷いましたが、結局慌てて足を運んだのには、当日の朝に目にした過去のSNSメッセージに引き付けられるように感じたからです。
ベートーベン 生誕250年の今年、たくさんのベートーベン 関連の催しが予定されていたにもかかわらずキャンセルになり、この日のベートーベン プログラムを聴かなければ後はないかなという少し「イベントとして」参加しておこうという気持ちもありました。そんな中、その日の公演はたくさんの意味で思い出深いものになりました。
いつもと違う雰囲気のホールの入り口は消毒液と体温検査、一切の接触をも避ける努力が見られ、ソーシャルディスタンスに無言、マスク着用を唱えるアナウンスにも重々しいものを感じました。すっかり様子が違うホールの雰囲気に戸惑いましたが、QRコードによるトレーシングシステムまで含めて、最善の安全対策を図るという緊張を経験しました。
そしてソーシャルディスタンスのため着席率50%にも満たないであろう会場を目の当たりにして、今後のホール運営、そこで表現するアーティスト達の存続に大きな不安を感じたのも事実です。そんな中、それでもキャンセルされなかったことに熱い思いをそこにいる誰もが感じたはずです。
実際の舞台では、ライブパフォーマンスにはどういう意味があるのだろうかという漠然とした問いへのクリアーな答えがありました。舞台やコンサートホールは観客が感情にどっぷり浸ることを許される場所なんだと。
舞台は取り直しのない、一瞬の生き物です。だからこそ、発表表現するということを選んだ以上、執念を持って練習されているんだろうなと深く思いました。プログラムノートに「執念を持って奏したい」という言葉を見つけた時、それをホールで共有することこそがライブパフォーマンスの意味だと深く感じました。
舞台上で演じられる音楽というストーリーの中の非日常や非現実の中に現実の自分を照らし合わせ、悲劇では深い痛みを、歓喜の中には大きな喜びという感情にどっぷり浸ることが許され、そして舞台とはそれを共有する空間であることを感じさせてもらった公演でした。
その思いは会場全体を包み、会場全体が感謝の気持ちで満たされました。これほどまでに力強いエネルギーを感じることにこそライブパフォーマンスの意味があるのだと実感したのです。
先日、若くてとても才能のある表現者のお一人が亡くなったというニュースを聞きました。その方が生前のインタビューで、経験したことのない役を演じることについて語られていました。「大きな想像力をたくさんの人に届けていくこと」が未来の(負の)流れを止めたり出来ることを信じたい、と。
舞台という大きな想像力を与えてくれる場所。表現者が執念を持って表現することで、観客がどっぷり感情にひたれる場所。そして力強い想像力が未来につながる場所。そのような文化の大切な役割を担う場所である舞台がこれからも存続してくれることを深く望むばかりです。
そしてそんな舞台を愛されたであろう魂に深い追悼の意をこめて。
各地、各業界で色々なイベントがキャンセルされたり、また特別な思いで試行錯誤の中開催を決定されたりという話を聞きます。イベントに限らず余暇や趣味の楽しみ方まで変化を強いられるのも当然のようです。
私自身、コンサートホールに足を運ぶのが楽しみの一つである(あった)のですが、音楽業界、エンターテイメント業界も現在の大きな変化の中、いまだかつてない課題を抱えているようで胸が痛みます。
春以降国内外のコンサートがほぼ全てキャンセルを強いられた中、とあるピアノリサイタルが春からの延期の末、大阪で開催されました。
正直、この演奏者をあまり存じ上げていなかったこともあり、この状況下、私も行くかどうか迷いましたが、結局慌てて足を運んだのには、当日の朝に目にした過去のSNSメッセージに引き付けられるように感じたからです。
ベートーベン 生誕250年の今年、たくさんのベートーベン 関連の催しが予定されていたにもかかわらずキャンセルになり、この日のベートーベン プログラムを聴かなければ後はないかなという少し「イベントとして」参加しておこうという気持ちもありました。そんな中、その日の公演はたくさんの意味で思い出深いものになりました。
いつもと違う雰囲気のホールの入り口は消毒液と体温検査、一切の接触をも避ける努力が見られ、ソーシャルディスタンスに無言、マスク着用を唱えるアナウンスにも重々しいものを感じました。すっかり様子が違うホールの雰囲気に戸惑いましたが、QRコードによるトレーシングシステムまで含めて、最善の安全対策を図るという緊張を経験しました。
そしてソーシャルディスタンスのため着席率50%にも満たないであろう会場を目の当たりにして、今後のホール運営、そこで表現するアーティスト達の存続に大きな不安を感じたのも事実です。そんな中、それでもキャンセルされなかったことに熱い思いをそこにいる誰もが感じたはずです。
実際の舞台では、ライブパフォーマンスにはどういう意味があるのだろうかという漠然とした問いへのクリアーな答えがありました。舞台やコンサートホールは観客が感情にどっぷり浸ることを許される場所なんだと。
舞台は取り直しのない、一瞬の生き物です。だからこそ、発表表現するということを選んだ以上、執念を持って練習されているんだろうなと深く思いました。プログラムノートに「執念を持って奏したい」という言葉を見つけた時、それをホールで共有することこそがライブパフォーマンスの意味だと深く感じました。
舞台上で演じられる音楽というストーリーの中の非日常や非現実の中に現実の自分を照らし合わせ、悲劇では深い痛みを、歓喜の中には大きな喜びという感情にどっぷり浸ることが許され、そして舞台とはそれを共有する空間であることを感じさせてもらった公演でした。
その思いは会場全体を包み、会場全体が感謝の気持ちで満たされました。これほどまでに力強いエネルギーを感じることにこそライブパフォーマンスの意味があるのだと実感したのです。
先日、若くてとても才能のある表現者のお一人が亡くなったというニュースを聞きました。その方が生前のインタビューで、経験したことのない役を演じることについて語られていました。「大きな想像力をたくさんの人に届けていくこと」が未来の(負の)流れを止めたり出来ることを信じたい、と。
舞台という大きな想像力を与えてくれる場所。表現者が執念を持って表現することで、観客がどっぷり感情にひたれる場所。そして力強い想像力が未来につながる場所。そのような文化の大切な役割を担う場所である舞台がこれからも存続してくれることを深く望むばかりです。
そしてそんな舞台を愛されたであろう魂に深い追悼の意をこめて。
バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ
バイリンガルライフコーチ
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
おすすめのコラム
コラムのジャンル一覧