丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2019-03-08
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心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
便利さ |
空気感が変わり季節の変化を感じます。ふわっと暖かい春を感じるのと同時に、花粉症の方には厳しい季節の到来です。
最近感じるのは「便利さ」についてです。便利という意味のコンビニエンス。コンビニエンスストアは日本の代名詞と言えるくらいどこにでもあります。
そしてそれらが 「どこにでも」、そして「いつでも」あるということを前提に生活している私たちがいます。私たちの期待を裏切らずどこにでもあるコンビニ。
先日、京都の静かな佇まいの中、コンビニの店を見つけ複雑な気持ちになりました。京都の中心地を京都らしいと感じる人はもは少数かもしれません。そのくらい京都も大阪も中心街はビルや店が立ち並び、大都市はどこ同じ様相です。
先日、ピアノのレッスンの冒頭で、先生が「この曲が作られた200年前の都市は今よりずっとずっと静かだったはずですよね」「そんな静かな環境の中で演奏されたであろう劇的な音」をどう劇的に表現するかについて教えていただきました。
200年前は電気、自動車もなく、家の中も外も音といえば自然界の音、木、石、天気、人間も含めて動物の発する音、そして静寂の繰り返しだったのかもしれません。夜と昼、光と暗闇の境界線がもっと劇的にクリアーだったはずです。だからこそ音と静寂の境界があったはずです。
今、コンビニエンス、便利さがあふれていることと同時に、私たちはさまざまな種類の音、雑音、ノイズに囲まれて、200年前の静寂を想像することすら難しくなっているようです。
ある人は、音がないと寂しいという理由で、家にいるときはテレビはつけっぱなしにすることにしているといって、私をびっくりさせました。
「200年前の静かな社会」について考えさせられたレッスンの後歩いた大都市は、いつも以上に雑音に満たされていると感じました。まだ比較的静かであろうポーランドに住む先生の耳にはこのノイズはどう聞こえるんだろうか、とふと考えていました。
便利さを追求し、そしてそれによって引き起こされた消費文化はどこまで行くのかなと考えます。もっと「早く」消費するよう、食品業界ではファーストフードが現れ、ファッション業界にはファーストファッションが現れました。便利さは豊かさだと言われて。
スピードを追求し、それになれた消費者は後戻りすることなど不可能なのかもしれません。早く、安く、もっと、を追求した経済活動は、まるで消費中毒になった私たちをあおっているようです。「早く、安く、もっと」、を合言葉に。。。。
そして便利なシステムに支えられ私たちは 早く、安く、もっと、を繰り返しているようです。知らず知らずのうちにそうやって手にしたファーストな、短絡的な歓びの後ろで何か大きなものを犠牲にしているようでもあります。
15歳のスエーデン女性のグレタ Greta Thunberg は国連で訴えます。今地球規模の非常事態なのだと。そうやって便利さ、それを豊かさだと勘違いして追求してきた生活の結果、私たちが日々失っていく代償はあまりにも大きすぎると。
その代償は地球。
まだ生徒であるグレタは学校に行くことよりもそのメッセージを伝えることの方が重要だと学校に行かないで私たちに訴えます。
便利さ、豊かさ、そんなことをゆっくり考えている暇なのないのだと。考え方を変え、行動を変えるしか未来を救えないのだとグレタは今日も訴え続けています。
最近感じるのは「便利さ」についてです。便利という意味のコンビニエンス。コンビニエンスストアは日本の代名詞と言えるくらいどこにでもあります。
そしてそれらが 「どこにでも」、そして「いつでも」あるということを前提に生活している私たちがいます。私たちの期待を裏切らずどこにでもあるコンビニ。
先日、京都の静かな佇まいの中、コンビニの店を見つけ複雑な気持ちになりました。京都の中心地を京都らしいと感じる人はもは少数かもしれません。そのくらい京都も大阪も中心街はビルや店が立ち並び、大都市はどこ同じ様相です。
先日、ピアノのレッスンの冒頭で、先生が「この曲が作られた200年前の都市は今よりずっとずっと静かだったはずですよね」「そんな静かな環境の中で演奏されたであろう劇的な音」をどう劇的に表現するかについて教えていただきました。
200年前は電気、自動車もなく、家の中も外も音といえば自然界の音、木、石、天気、人間も含めて動物の発する音、そして静寂の繰り返しだったのかもしれません。夜と昼、光と暗闇の境界線がもっと劇的にクリアーだったはずです。だからこそ音と静寂の境界があったはずです。
今、コンビニエンス、便利さがあふれていることと同時に、私たちはさまざまな種類の音、雑音、ノイズに囲まれて、200年前の静寂を想像することすら難しくなっているようです。
ある人は、音がないと寂しいという理由で、家にいるときはテレビはつけっぱなしにすることにしているといって、私をびっくりさせました。
「200年前の静かな社会」について考えさせられたレッスンの後歩いた大都市は、いつも以上に雑音に満たされていると感じました。まだ比較的静かであろうポーランドに住む先生の耳にはこのノイズはどう聞こえるんだろうか、とふと考えていました。
便利さを追求し、そしてそれによって引き起こされた消費文化はどこまで行くのかなと考えます。もっと「早く」消費するよう、食品業界ではファーストフードが現れ、ファッション業界にはファーストファッションが現れました。便利さは豊かさだと言われて。
スピードを追求し、それになれた消費者は後戻りすることなど不可能なのかもしれません。早く、安く、もっと、を追求した経済活動は、まるで消費中毒になった私たちをあおっているようです。「早く、安く、もっと」、を合言葉に。。。。
そして便利なシステムに支えられ私たちは 早く、安く、もっと、を繰り返しているようです。知らず知らずのうちにそうやって手にしたファーストな、短絡的な歓びの後ろで何か大きなものを犠牲にしているようでもあります。
15歳のスエーデン女性のグレタ Greta Thunberg は国連で訴えます。今地球規模の非常事態なのだと。そうやって便利さ、それを豊かさだと勘違いして追求してきた生活の結果、私たちが日々失っていく代償はあまりにも大きすぎると。
その代償は地球。
まだ生徒であるグレタは学校に行くことよりもそのメッセージを伝えることの方が重要だと学校に行かないで私たちに訴えます。
便利さ、豊かさ、そんなことをゆっくり考えている暇なのないのだと。考え方を変え、行動を変えるしか未来を救えないのだとグレタは今日も訴え続けています。

バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ
バイリンガルライフコーチ
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
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