いつも心に太陽を
ライフスタイル 2017-03-15
英会話アルテミス
豊中と箕面のカフェで習うマンツーマン英会話。お洒落なカフェレッスン。レッスンは毎回払い。
HP:http://www.eikaiwa-artemis.com/
Like sunlight on water |
昨年の年末から先月にかけて、私の周りで身近で2人の死の知らせが続き、最近私は自分の残り時間について考えています。
身近な人の死というものは、もう相手がいなくなってしまったということを頭では理解できても、心がどう頑張っても全くそれに追いつけないような、まるで人の頭と心は全く違うスピードで動いていて、その間には長い時差があるような気持ちになります。
先月、本人の要望でお葬式ではなく、彼の人生を祝してパーティを開きますので是非お越しくださいとの案内が届き、息子と二人で友人のメモリアルパーティーに参加しました、
そしてそのパーティは、私の人生の中で参加したパーティの中で一番美しい集まりでした。
行く道の電車の中で4歳の息子は、「ねえママ、それで今日は誰が結婚するの?」と何回も耳打ちをして聞いてきました。
何度説明しても人の死をまだ理解できません。そんな子に死というものを電車の中で説明しながら、大人である私も、実は死というものを上手くは説明できないことに気がつきました。
しかし、ある意味で言えば、死とは大きな故郷のソールへの帰化、もう一度結びつくという意味で結婚なのかもしれません。
そんな深く考えてしまうと、子供に何も説明できなくなってしまうので、結局「彼の体が疲れて動かなくなってしまったから、魂は体から抜け出して目には見えない天使になったんだよ、それを私たちは死と呼ぶんだよ」と話しました。
60名以上の沢山の人たちが集まる盛大なパーティでした。故人の生まれた頃から亡くなる前までの写真が大きなスクリーンにスライドでながれ、写真のストーリの説明、家族や友人たちのスピーチや美しい詩の朗読があり、会場では涙と笑いが海のさざ波のように繰り返されていました。
突然私の隣で笑顔で座っていた女性が、「もうあと一時間でパーティーが終わってしまう」と言って涙をポロポロこぼし泣き始めました。
そんな彼女を見ながら、私はこんなに沢山の人に関わり愛され、慕われ、インスピレーションを与えて生きた彼、多くの人に別れを惜しまれている彼の人生をとても美しくとても眩しく感じました。
そして自分が死んだ私に時こんな風に泣いてくれる人はいるのだりうかと、不安に襲われました。
それは今を、そしてこれからを、私はいかに生きてゆくべきか、他の人たちにどう関わってゆくべきか、この機会にじっくり考えてみなさい!と天使になった彼からラストメッセージを受け取ったかのようでした。
その会場は川の真横に建てられていて、パーティーの途中に少しの間、息子と2人で川を眺めに外へ出ました。
人生は流れる川の水面に反射する太陽の光のようなもの。止めどない川の流れと太陽の光により、新しい光は常に生み出され続け、そして一瞬にして消え続ける。沢山の眩しい光のその一つ一つが一人の人間の一生なのである。それが一つの同じ水面の上で皆つながりながら絶え間なく沢山の光が輝き続けている。
水面を実際に眺めていると、水面の太陽の光の反射はまるでクリスマスツリーのついては消える小さいライトのように忙しく、目をつぶってもまだ沢山の光が残像として残るほど強い光を放っていました。
私は「彼みたいに、ピカッと美しい強い光りを放って生きなあかんな!」と、川の上を飛んでいる鳥に夢中の息子に話しかけるように、自分に大きなな独り言を言い、今日のこの想いを忘れないようにと水面の光をしばしの間みつめていました。
全ての生き物、出来事、人間関係には必ずいつか終わりが来る。だからこそ愛おしく美しい。時に永久に続いてゆくのではないだろうかと思える私の人生も、終わる日がいつかやって来る。
子供達に追われハモスターの車輪の中ような子育ても、ふと気がつけばソプラノの声で「ママーおいで!」と私を呼ぶ声も聞こえなくなくなり、子供達は巣立ち家は静まり帰り、その静けさの中で自分の身の置き場に困惑するそんな日はいつか来る。
ずっと周りにいるのが当たり前に思う家族とも別れの日はいつか必ず訪れる。
そんな日が来た時に一つでも後悔がないように、精一杯私の残り時間を大切に、時間を無駄にせず生きてゆきたいと思います。
身近な人の死というものは、もう相手がいなくなってしまったということを頭では理解できても、心がどう頑張っても全くそれに追いつけないような、まるで人の頭と心は全く違うスピードで動いていて、その間には長い時差があるような気持ちになります。
先月、本人の要望でお葬式ではなく、彼の人生を祝してパーティを開きますので是非お越しくださいとの案内が届き、息子と二人で友人のメモリアルパーティーに参加しました、
そしてそのパーティは、私の人生の中で参加したパーティの中で一番美しい集まりでした。
行く道の電車の中で4歳の息子は、「ねえママ、それで今日は誰が結婚するの?」と何回も耳打ちをして聞いてきました。
何度説明しても人の死をまだ理解できません。そんな子に死というものを電車の中で説明しながら、大人である私も、実は死というものを上手くは説明できないことに気がつきました。
しかし、ある意味で言えば、死とは大きな故郷のソールへの帰化、もう一度結びつくという意味で結婚なのかもしれません。
そんな深く考えてしまうと、子供に何も説明できなくなってしまうので、結局「彼の体が疲れて動かなくなってしまったから、魂は体から抜け出して目には見えない天使になったんだよ、それを私たちは死と呼ぶんだよ」と話しました。
60名以上の沢山の人たちが集まる盛大なパーティでした。故人の生まれた頃から亡くなる前までの写真が大きなスクリーンにスライドでながれ、写真のストーリの説明、家族や友人たちのスピーチや美しい詩の朗読があり、会場では涙と笑いが海のさざ波のように繰り返されていました。
突然私の隣で笑顔で座っていた女性が、「もうあと一時間でパーティーが終わってしまう」と言って涙をポロポロこぼし泣き始めました。
そんな彼女を見ながら、私はこんなに沢山の人に関わり愛され、慕われ、インスピレーションを与えて生きた彼、多くの人に別れを惜しまれている彼の人生をとても美しくとても眩しく感じました。
そして自分が死んだ私に時こんな風に泣いてくれる人はいるのだりうかと、不安に襲われました。
それは今を、そしてこれからを、私はいかに生きてゆくべきか、他の人たちにどう関わってゆくべきか、この機会にじっくり考えてみなさい!と天使になった彼からラストメッセージを受け取ったかのようでした。
その会場は川の真横に建てられていて、パーティーの途中に少しの間、息子と2人で川を眺めに外へ出ました。
人生は流れる川の水面に反射する太陽の光のようなもの。止めどない川の流れと太陽の光により、新しい光は常に生み出され続け、そして一瞬にして消え続ける。沢山の眩しい光のその一つ一つが一人の人間の一生なのである。それが一つの同じ水面の上で皆つながりながら絶え間なく沢山の光が輝き続けている。
水面を実際に眺めていると、水面の太陽の光の反射はまるでクリスマスツリーのついては消える小さいライトのように忙しく、目をつぶってもまだ沢山の光が残像として残るほど強い光を放っていました。
私は「彼みたいに、ピカッと美しい強い光りを放って生きなあかんな!」と、川の上を飛んでいる鳥に夢中の息子に話しかけるように、自分に大きなな独り言を言い、今日のこの想いを忘れないようにと水面の光をしばしの間みつめていました。
全ての生き物、出来事、人間関係には必ずいつか終わりが来る。だからこそ愛おしく美しい。時に永久に続いてゆくのではないだろうかと思える私の人生も、終わる日がいつかやって来る。
子供達に追われハモスターの車輪の中ような子育ても、ふと気がつけばソプラノの声で「ママーおいで!」と私を呼ぶ声も聞こえなくなくなり、子供達は巣立ち家は静まり帰り、その静けさの中で自分の身の置き場に困惑するそんな日はいつか来る。
ずっと周りにいるのが当たり前に思う家族とも別れの日はいつか必ず訪れる。
そんな日が来た時に一つでも後悔がないように、精一杯私の残り時間を大切に、時間を無駄にせず生きてゆきたいと思います。
ガードナー 瑞穂
アメリカ人の夫と今年で国際結婚生活11年目。2児の母。 フロリダ ディズニーワールドにて勤務4年。 日本へ帰国後、生まれ育った関西北摂地域で、英会話講師のエージェントの仕事の傍ら、 イラストレーターとして活動しています。コラムに掲載しているイラストのサイトはこちら
英会話アルテミス
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HP:http://www.eikaiwa-artemis.com/
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