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池田 千波留
パーソナリティ、ライター 香のん

タカラジェンヌ歳時記 趣味・カルチャー 2015-10-16
榛名由梨さんにお聞きする「ヒゲの二枚目」誕生譚

先月、宝塚大劇場では星組『ガイズ&ドールズ』が上演されました。
ギャンブラーを主人公にした作品ということもあってか、
多くの二枚目男役さんがヒゲをつけていました。
この公演に限らず、最近の宝塚歌劇では、
主役級の男役さんがヒゲをつけることが珍しくありません。
 
しかし、かつては宝塚歌劇でヒゲをつけるのは、
おじいさん役や、敵役など、脇役のベテランだけだったのです。
主役の二枚目がヒゲをつけることがあるとしても、
ショーの一場面で可愛らしいおじいちゃんを演じるなど、
遊びの要素がある場合に限られていました。
 
そんな「常識」を覆し、新しい男役のありかたを方向付けたのは、
元月組トップスターの榛名由梨さん。
今月は、不朽の名作『風と共に去りぬ』のレット・バトラー役で、
主役として初めてヒゲをつけることになった榛名由梨さんに
当時のことをお聞きしました。

榛名さんは昭和38年、宝塚歌劇団に入団後、
月・雪合同公演『ウエストサイド物語』の”アクション”役で頭角を現し、
ダンスで実力を発揮することになります。

昭和48年に月組トップスターに就任。
翌年昭和49年8月の『ベルサイユのばら』初演で、
男装の麗人・オスカルを演じ、社会現象ともなった「ベルばらブーム」の
火付け役となりました。

昭和52年『風と共に去りぬ』では初代レット・バトラーを演じ、
初めてトップスターが口髭をつけることで大きな話題を呼びました。
安奈淳さん、汀夏子さん、鳳蘭さんとともに「ベルばら四強」と呼ばれ、
宝塚歌劇の黄金時代を築きあげ、昭和63年、惜しまれて退団されました。

ここからは、榛名さんとの質疑応答をお伝えします。

⚫︎二枚目として初めてヒゲをつけることになって、どのように思われましたか?

ヒゲというのは二次的な問題で、まずはレット・バトラーのような、
リアルな男性を演じることができるか、ということに直面しました。
もともと宝塚歌劇の男役が演じるのは夢の王子さまでしょう?

私は『ウエストサイド物語』で、王子タイプではない
”アクション”役をさせていただいたけれど、あくまでも青年役。
レット・バトラーは中年男性で、しかも南部魂を持った男の中の男。
『ベルサイユのばら』のオスカルやアンドレといった
劇画の役を演じたあとでのレット・バトラーで、
まさに未経験の領域に踏み出す思いでした。

また、榛名由梨のイメージが壊れるのではないか、
夢を壊してしまうのではないかと心配の声もあがりました。
ですから演出の植田紳爾先生と何度もご相談しました。

私は素顔がいわゆる男顔ではなくて、女性の顔なのね。
しかも笑うとエクボがでるんです。
それがレット・バトラーを演じるにあたってはマイナス要素になる。
それだったら、ヒゲをつければそちらに目がいって
エクボが目立たないかもしれなし、
ヒゲが大人の色気を演出してくれるかもしれない、という結論になりました。

⚫︎初めてヒゲをつけるにあたり、ご苦労された点は?

ヒゲをつけることで、メイクを根底から見直す必要に迫られました。
従来の男役メイクといえば、白っぽい肌色に、赤みのある焦げ茶色の眉毛で、
ブルーのアイシャドウにつけまつげ、唇も明るい色の口紅を塗っていました。

でもそんなメイクでは、骨のある南部の男レット・バトラーらしさが出ない。
だから、まず肌色は日焼けしたような色にして、
目頭に濃い茶色のアイシャドウをほどこして、眉毛も濃く黒く…。

目指すのは、美術室にある塑像や彫刻のように陰影のある顔なのに、
なかなかそうは見えない。
眉毛の形や長さやちょっとしたことでバランスが崩れるの。
だから、1日じゅうヒゲをつけた状態で美容院の鏡の前にいましたよ。
相談をしながら、メイクをして、それをポラロイドカメラで撮影して、
それをみてメイクをやり直す…の繰り返し。

もともと私はどんな役の時でも、その役の性格や年齢に合わせて、
いつもメイクは変えていました。
だけど、このときほど考え込んだことはないです。
そうして研究しているうちに、ヒゲをつけるなら額は角ばっている方が
男らしく見えるとわかってきました。

でも、私は富士額で、前髪の生え際も丸いんです。
だから、四角い額にするために、毛を抜きました。
蒸しタオルでおでこを温めて、少しでも毛穴を広げてから抜くのだけど、
痛くて痛くて!毎日涙を流しながら額の形を四角く整えていました。
ひとことでヒゲをつけるといっても、
従来のメイクにヒゲだけつければ良いってものではなかったのよ。
 
⚫︎周囲の反響はいかがでしたか?

宝塚歌劇でトップスターが初めてヒゲをつけることを
新聞などのマスコミが大々的に報じていただいたから、
私の周囲でも賛否両論、すごい騒ぎになりました。

これまで老け役でヒゲをつけた経験のある上級生のかたたちが
「私たちはこれまでヒゲをつけてきたのに、
どうして今回だけこんなに騒がれるの?」とおっしゃるので、
「すみません、すみません」と謝ったり、
続演が決まっていた星組のトップスター ツレちゃん(鳳蘭)が
「ヒゲつけんといてね。私もつけないといけなくなるヤン」と直訴しに来たり。
実際につけてみたら、彫りの深いツレちゃんは、
ヒゲがよく似合ってかっこよかったのにね。

そんな大論争の中、長谷川一夫先生が
「大丈夫。かっこよく見えるヒゲを僕が作ってあげるから」とおっしゃって下さいました。
先生の床山さん(カツラなど作成する部門)が、
私の顔のサイズに合う、細身でちょっと明るい色目のコールマンヒゲを
初日に間に合うように作って送ってくださったんです。

長谷川一夫先生には「ベルサイユのばら」の時に演技指導していただいて以来、
何かとお世話になりました。
先生は役者でいらっしゃったので、言葉でおっしゃるだけでなく、
演じて見せてくださいました。
演出家であり、役者の心がわかるかたであり、
本当に、ひとつひとつ、ひとことひとことがすばらしくて、
ありがたかったです。
 
⚫︎実際にヒゲをつけて舞台に立っていかがでしたか?

風と共に去りぬは一本立ての作品で、休憩を挟んで一部と二部の構成でした。
初日があいてしばらくのあいだは、
第1部はヒゲなしで、第2部はヒゲをつけて出ていたんです。
それは植田紳爾先生のご発案で、「ヒゲ」の評判を見ることと、
ファンの人に、両方の顔を楽しんでいただくという二つの意味を持っていました。
でも意外にもヒゲが好評で、すぐに芝居冒頭からヒゲをつけるようになりました。

好評なのはありがたかったですが、
ヒゲをつけてセリフを言うのは予想以上に難しかったですよ。
だって、口の上にのりで貼り付けているんですものね、
突っ張って思うように口が開けられません。

特に「イ」や「エ」といった、口を横に開ける音が発音しにくかった。
それで、どうすれば発声しやすいだろうと考えて、
ヒゲの中央部分だけのりをつけずに「遊び」をもたせておくと
喋りやすいことに気がつきました。

当初、のりは弱めのものを使っていました。
ところがある日のこと。
形勢不利な南部軍への寄付を募るバザーで、
お嬢さん方と踊るのに青年たちがお金を賭け、
それを南部軍への義援金にあてるというシーンがあります。

喪中で黒いドレスを着たスカーレットが、
踊りたくてうずうずしているところに、
「金貨で150ドル!」とバトラーが現れる印象的な場面で、
スカーレットを引き寄せて、踊っていると、
ミッキー(スカーレット役の順みつき)が、
私を見て吹き出しそうになりながら、芝居をしているんです。

汗でヒゲののりの一部がはがれて、セリフを言うたびに
ヒラヒラヒラヒラ、ヒゲが踊っていたらしく、
ミッキーは笑いをこらえるのに必死だったそうです。

以来、ガムスピリッツという強いのりに変えたら、
ヒゲが途中で外れることはなくなったけれど、
ひどい肌荒れに悩むことになりました 。
1回の公演で、ヒゲはつけっぱなしではないんです。
フィナーレナンバーで一旦はずし、大階段を降りるときにまたつける。
2回公演だったらその繰り返しです。

のりにかぶれて、まるでやけどをしたみたいに鼻の下は真っ赤。
『風と共に去りぬ』のあとしばらくは、
『歌劇』や『宝塚グラフ』といったポート撮影ができませんでした。

そんな思いをしながらも好評だった「風と共に去りぬ」ですが、
東京公演に向けて、ヒゲ問題が再燃しました。
当時の東宝の重役さんたちが、
「榛名にヒゲをつけさせるなんてダメだ!」「イメージが壊れる!!」と、
 大反対なさったんです。

新聞記事にもなりましたよ「ヒゲは箱根を越えるか?!」というタイトルで。
このときは植田紳爾先生が、すぐに東京に飛んで、説得してくださいました。
そして東京公演でも長谷川一夫先生が、特製のヒゲをどっさり届けてくださいました。

⚫︎榛名さんはフロンティアですね。

オスカルのときといいバトラーのヒゲといい、
自分で意図したわけではありませんが、
結果的に先駆者の役割を果たすことになりました。

その後、麻実れいさん、平みちさん、大浦みずきさん、杜けあきさんたちが
それぞれヒゲをつけることになったとき、相談に来られてね。
私の体験で役立つのならと、いろいろお教えしましたよ。

いま、ヒゲの男役さんがカッコイイ!と
憧れの眼差しで見られているとしたら
その道筋をつけるお役に立ったのかしら、と嬉しいです。
 

榛名由梨さん、貴重なお話をありがとうございました。

退団後も、さまざまな舞台で活躍される榛名由梨さん。
ご提供いただいたお写真は今年(2015年)3月に、
下級生である未央一さんとの「初コンビDe大爆show」で、
再びレット・バトラーに扮しヒゲをつけられた時のものです。
退団されて27年とはとても思えません。

ちなみに舞台の方は端正な榛名さんバトラーに
芸達者でちょっと(?)三枚目の未央さんスカーレットがからみ、
客席の爆笑を誘ったのでした。

榛名さんは近々、大東文化大学教授の藏中しのぶさんとの共著で
『榛名由梨とその時代』の出版を予定されています。
また年末には下級生 初風緑さんとのLIVEもあるそうで、
詳しい情報は榛名由梨さんのブログ『榛名由梨の愛あればこそ』を
ご参照ください。
取材ご協力:榛名由梨様
写真ご提供:株式会社プランニングはるなJ様



 

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