イクサガミ 天(今村翔吾)
早く続きを!! イクサガミ 天
今村 翔吾(著) 第166回直木賞を受賞された作家 今村翔吾さんの受賞第1作である『イクサガミ 天』を読み終えました。
受賞後第1作が文庫本というのは初めてのことなのですって。 今村さんはインタビューで、この作品は意識してエンターテインメント寄りにお書きになったこと、そして文学も「早いやすいうまい(旨い、上手い?)」が求められていると考えておられることをお話しされていました。 読み終わった感想としては、今村さんのおっしゃる通り『イクサガミ 天』は、若い世代から時代小説が大好きな年配の方まで、幅広い世代が楽しめる娯楽作品だと思いました。 明治11年。
日本全国に配られた新聞が、奇怪な招集をかけた。 「腕に覚えがあるものは5月5日に京都の天龍寺に集まれ、その者たちに金十万円を獲得する機会を与えよう」というのだ。 十万円といえば、巡査の平均年収の約2000倍だ。そんな夢のような話があるだろうか? 流行病に倒れた妻と息子を救うために大金が必要だった愁次郎は、ダメで元々、わずかの可能性に賭けて天龍寺に向かった。 当日、指定の時刻になると、愁次郎の予想をはるかに超える人数が天龍寺に集まって来ていた。 集まった動機は様々。大金が必要な者。廃刀令で身につけることが叶わなくなった武士の魂・刀をもう一度手にし今はなき「武士」の権威を取り戻したい者、単純に再び剣を振るってみたい者……総勢292人。中には女性もいる。 そんな彼らに、十万円獲得までのルールが説明された。 基本的なルールは『一人1枚ずつ配られた「札」を奪い合いながら東京へ向かうこと。規定枚数を持っていないと何箇所かのチェックポイントを通過できない』というもの。 相手が持っている札を奪う、というのは実質上は命のやりとりだ。一度ルールを聞いてしまった者は脱落も許されない。行くも地獄、退くも地獄のサバイバルゲームが始まった。 愁次郎は東京に辿り着けるのか?妻子のために大金を手にできるのか?! (今村翔吾さん『イクサガミ 天』の出だしを私なりに紹介しました) 『イクサガミ 天』は三部作の第一作目。
金十万円をめぐるサバイバルゲーム、デスゲームのスタートです。 前年に西南戦争が終わり、いよいよ武士が終焉してしまった時代背景、これまでずっと「武士」「侍」だった人たちが剣を奪われ、精神的にダメージを受けた上に、経済的にも行き詰まっている現状、そして参加者の中でも物語の中心になりそうな人物それぞれの事情や特徴が描かれています。 演劇で言うとプロローグあたりと言って良いかも。 読んでいて脳内に、登場人物の容姿がうっすらと出来上がり、場面が見えてくるような気がして来たところで『イクサガミ 天』は終わります。 役者が揃って、さあこれからどうなるの?!というところで終わってしまうんですよ。 我が家では私より先に読んだ夫が「で、この本の続きはどこにあるの?」と申しましてね。私が「今村翔吾さんは『あと2巻、年内に出版したいです』っておっしゃっていたよ」と答えたら「そんなぁぁぁぁ!」と天を仰いでおりました。 はい。 「ここでお預けを食らうなんて、辛い!続きを読みたい!」と誰もが思うと思います。私も思いました。今村さんがおっしゃっているように、時に『カイジ』時に『北斗の拳』を連想させるようなエンタメ性で、一気に読めてしまうので、一層続きを渇望しちゃうのかもしれません。 個人的には、入れ替わり立ち替わり現れる「クセの強い」猛者たちの中に一人お気に入りの剣士を見つけまして、「この人を応援しよう」と思ったら、ラスト近くでその人が脱落(殺された)。 ショックでした。二巻以降、感情移入できる剣士を新たに見つけなくては。 ともかく、今村翔吾先生、講談社様、我ら読者に早く続きを与えてください! イクサガミ 天
今村 翔吾(著) 講談社 明治十一年。大金を得る機会を与えるとの怪文書により、強者たちが京都の寺に集められた。始まったのは、奇妙な「遊び」。配られた点数を奪い合い、東海道を辿って東京を目指せという。剣客・嵯峨愁二郎は十二歳の少女・双葉と道を進むも、強敵が次々現れー。滅びゆく侍たちの死闘、開幕! 出典:楽天 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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