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西洋美術とレイシズム(岡田温司)

「人種」という概念の根

西洋美術とレイシズム
岡田 温司 (著)
本屋さんでブラブラと棚を見て歩いていたとき、なにかちょっと引っかかりを覚える帯が巻かれた本が目に入りました。

帯には、ブラジルに帰化したスペイン出身の画家モデスト・ブロコスが描いた「ハムの償い」という絵画が使われています。

親子三世代、黒い肌の祖母が左に立ち、天に祈りを捧げています。真ん中には白い肌の幼児を抱いた褐色の肌の母親、右には父親と思われる白人男性が座っています。母と幼児は、聖母マリアと幼子イエスを思わせます。⇒こちらからご覧いただけます

本のタイトルは、『西洋美術とレイシズム』。この絵にもなにかレイシズム、すなわち人種主義、人種差別的な思想が反映されているのでしょうか。

「人種」という概念は、18世紀にまるで科学的な根拠があるかのように広まったものです。しかし、その根はずっと深く、キリスト教とその図像のなかで培われていたというのが本書の主張です。

さて、キリスト教の信仰の基盤である『旧約聖書』『新約聖書』にある話をテーマとする絵画や彫刻をていねいに見ていくと、聖書には特に記されていない肌の色や、身体的特徴、服装、人物が描き込まれていることがあります。それらは、作品が描かれた時代の社会状況や思想を反映していると著者は指摘します。

たとえば、『旧約聖書』の『創世記』で伝えられる、ノアの泥酔というエピソードがどのようにレイシズムへと繋がっていったかを見てみましょう。

ノア一族は、大洪水のことを神から事前に教えてもらい、方舟によって難を逃れました。洪水のあと、ノアは地上に戻り、ブドウを栽培します。ある日、ブドウ酒で酔っ払ったノアは、裸のまま眠りこけてしまいます。

その姿を、ノアの末息子ハムが見つけ、兄二人に知らせます。兄たちは着物を持ってきて父の裸からは目をそらしながら体を覆います。目を覚ましたノアは、ハムが親の裸身を見たことを咎め、呪いをかけます。それはハムの子カナンが「奴隷の奴隷」となって、兄たちに仕えるというものでした。こののち、ハムの子孫はエジプトの地に住むことになります。

泥酔して素っ裸で眠りこけた父親が、それを見つけた息子を末代まで呪う。なんとも理解に苦しむエピソードですが、大航海時代以降、アフリカの黒人を奴隷として売買することを正当化する根拠として持ち出されてきたのが、このノアのセリフなのです。

ただし、聖書のなかには、ハムの肌の色や容姿についての記述はありません。ところが、時代が下ると、ハムを兄たちよりも濃い肌の色に描く作品が現れてきます。ハムの子孫である肌の色の濃い人びとは神から呪われた身であり、奴隷として生きることを運命づけられているという解釈が反映されていくのです。でも、そもそも呪ったのは神ではなく、父親であるノアなのですけれどね。

では、冒頭に触れた作品「ハムの償い」は何を表しているのでしょう。これは、ブラジルの先住民である祖母、祖母と白人との子である母親、母親と白人との子である孫へと、3世代を経て肌の色が白くなっていき、ハムの罪が償われていくことを、伝統的なキリスト教美術の図像である「聖家族」の構図で描いたものなのです。

この絵が描かれたのは1895年、まさに、肌の色が人間の優劣を示しているという優生思想が広まった時代です。その思想は、アメリカ大陸の先住民や、奴隷として連れてこられた黒人に対する弾圧や差別を正当化するものでした。

そのような背景において描かれたことを踏まえて、作品名とともにあらためて鑑賞すると、3世代家族を描いた美しい絵というだけではない意味が見えてきて、愕然とします。

絵画や彫刻を見るとき、前知識なく、まずは心のままに鑑賞するという楽しみ方もあるでしょう。しかし、視覚的なイメージは、広く長く流布することで、既定路線となって、人びとの「記憶」となっていきます。神聖なテーマを扱ったものであれば、なおのことでしょう。そのようなことを意識して表現物に向き合うことが望ましいのではないでしょうか。

本書は、入門書として、たいへんわかりやすく書かれています。文中で取り上げられる作品は、ほぼすべて、オールカラーの図版で紹介されています。「大人の学びなおし」(ちくまプリマー新書HPより)としてもおすすめですよ。
西洋美術とレイシズム
岡田 温司 (著)
ちくまプリマー新書
聖書のエピソードに登場する人物を西洋美術はどう描いてきただろう。2000年にわたるその歴史の中で培われてきた人種差別のイメージを考える。 出典:amazon
profile
橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
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⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら

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