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みんなが手話で話した島(ノーラ・エレン・グロース)

ハンディキャップというものは、社会がつくるもの

みんなが手話で話した島
ノーラ・エレン・グロース (著)
アメリカ・マサチューセッツ州のマーサズ・ヴィンヤード島は、映画「ジョーズ」のロケ地にもなった人気のリゾート地です。著名人が避暑に訪れることでも知られているそうです。

かつて、この島は200年以上にわたって遺伝性の聾(ろう)が高い率(19世紀の資料ではアメリカ人平均の37倍)で発生していました。しかし20世紀になって、島外から人が流入するようになると、潜性(劣性)遺伝が原因であった聾者の数は激減し、1950年代の初めに最後の聾者が亡くなると、聾者の数はゼロになりました。

医療人類学者である本書の著者は、1978年にこの島を訪れたとき、そこでは聾者が「他の人とまったく同じ」だったこと、そして聾者、健聴者にかかわらず、みんなが手話を使っていたという話を聞きました。聾者の発生率が高いといっても0.64%なので少数派なのですが、この島では聾者が聾者であることを意識されることがないほどに共同体にとけ込んでいたのでした。そのことに関心をもった彼女は、公文書類や調査報告書を徹底的に調べ、みんなが手話を使っていた頃を知っている島の人々に聞き取りをし、本書をまとめました。

ヴィンヤード島に聾者が頻出していたこと自体は新しい発見ではなく、19世紀中頃にはよく知られていました。多くの学者が近親婚と遺伝性聾の関係を理論化しようと、この島に注目しましたが、島で実地調査をおこなった学者は皆無でした。

この島に注目していた学者のなかには、電話を発明したことで知られるアレクザンダー・グレアム・ベルもいました。彼は、系図を徹底的に当たって、ヴィンヤード島の遺伝性聾について調べました。ところが、当時は、遺伝学者メンデルがのちに発見した潜性(劣性)遺伝という考え方が知られていなかったため、聾者が生まれる法則や原因は正しく解明されませんでした。

19世紀中頃のアメリカ本土では、「ときに中世さながら」の聾に対する偏見や誤解が根強くありました。教育を受ける権利は、奪われはしないまでも制限されるのがふつうでした。たとえ教育を受けることが出来たとしても、聾者には成人市民としての権利や義務が認められない場合が少なくありませんでした。優生学者などは、聾者はむやみに結婚すべきではないとする論文を発表し、本人には無断で、あるいは本人の意志を無視して不妊手術を施される人もいたといいます。

それとは対照的に、ヴィンヤード島では、聾者は共同体のあらゆる活動に支障なく加わっていました。本土の聾学校への進学には助成金が出たため、聾者はむしろ長い期間、教育を受けた人が多く、物知りで読み書きに長けていたともいいます。結婚相手も、健聴者からでも聾者からでも自由に選ぶことができました。聾者は総じて平均かそれ以上の収入をあげており、なかには裕福な人もいました。島では、仕事も教会活動も遊びも政治活動も、すべて聾者と健聴者の区別なく一緒におこなっていたのです。

島の人たちは、小さなころから自然に手話を覚えました。聾者どうしや、聾者と健聴者との会話はもちろん、健聴者どうしでも手話を使うことがよくあったそうです。家庭内の問題とか、おおっぴらには口にできない問題などを話すときに手話に切り替えたり、子どもたちが授業中にこっそり手話でおしゃべりしたり、声が届かない距離にいる人どうしが手話で連絡を取ったりすることもあったそうです。

聾者が社会にとけ込んでいた状況を知る世代の人々は、そうしたことに島外の人間が関心を持つことに戸惑ったそうです。調査当時80代だった女性は、「あなたが小さい頃、聾というハンディキャップを負わされていた人たちはどんなふうでしたか」と訊ねられると、断固とした口調で答えたそうです。「あの人たちにハンディキャップなんてなかったですよ。ただ聾というだけでした」。また別の男性は次のように語っています。「私は聾のことなど気にしていませんでした。声の違う人のことを気にしないのと同じです」。

本書を読むと、ハンディキャップというものは、社会がつくるものであることがわかります。健常者とそうでない人との境や区別は不変ではないのです。ヴィンヤード島の経験のように、世界中のさまざまな社会のありようを知ることは、人や社会の可能性を広げることの第一歩になると思いました。
みんなが手話で話した島
ノーラ・エレン・グロース (著) 佐野 正信 (訳)
早川書房 (2022)
文化医療人類学者である著者グロースは現地に赴き、島民みんなが手話を使ってくらしていた時代を知る多数のインフォーマント(情報提供者)の証言を丹念に採集し、過去の科学的研究資料とオーラル・ヒストリーとを照らし合わせながら、島の社会文化の来歴を解き明かし、当時の生活やコミュニティを活写する。「障害」「言語」そして「共生社会」とは何かについて深く考えさせる、文化人類学者によるフィールドワークの金字塔。 出典:amazon
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橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
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