いつも心に太陽を
ライフスタイル 2017-06-21
英会話アルテミス
豊中と箕面のカフェで習うマンツーマン英会話。お洒落なカフェレッスン。レッスンは毎回払い。
HP:http://www.eikaiwa-artemis.com/
気がつく必要があるから出会いがある |
夫と日本に住み始めて今年で9年目に入りました。
アメリカ人の夫が初対面の方によく聞かれる質問もこの「日本に住まれて何年ですか?」という質問が多く、もう9年目なんですと答えると聞いてきた相手は、「長い間住まれているんですね」と、なんだかホッとした顔になるのだそうです。
夫を見ていてこの9年で日本人化したなと感じる点が多々あります。
住み始めた頃は本音が顔に出ない日本人のポーカーフェイスなところや、日本人の本音と建前の会話や約束などが理解できないと悩んでいましたが、最近では日本のコミニケーションに慣れて、はっきりとした言葉を使わず柔らかい丁寧な言い回しで遠回りにお断りすることができたり、人間関係が円滑に包むように謝ったり、相手を傷つけないようにと本音は語らず建前で話できたり、どこかに出かければ生徒の方やお世話になっている方にお土産を一つ買って帰ろうと珍しいものはないかと探して歩いて回ったり、私より落ち着いた日本人のように思えます。
私はというと、日本人の協調性とアメリカで学んだ独立性の二つの間で、9年経った今もうまくバランスが取れず、年長者の方に「いい人になりすぎてはいけない」とアドバイスをいただいたり、本音を言わず我慢して受け入れすぎて、急に爆発して怒って喧嘩してみたり、失敗しながら二つの間でのバランスを模索している状況です。
他の国に長い間住んでいると、その国の話の進め方、行動のやり方に自然と変化してゆきます。私は昔アメリカ旅行中に、現地に住んでいる旅行会社の日本人スタッフの日本語や対応が、とても冷たく感じて驚いたことがありました。
現地スタッフたちは、アメリカ人化してしまっている頭の回路で英語を日本語に変換して話しているので、偉そうな対応をしているわけではないのですが、日本から来たての丁寧な接客に慣れきってしまっている日本人には、とても失礼な対応に聞こえてしまうわけです。
私は自分がこの9年で変化したという意識は全くなかったのですが、つい最近、海外で10年ほど暮らしていて帰国してきたばかりの日本人女性と話す機会があり気がついたことがありました。
私が自分のことを彼女に話している時に、もっと自信を持っていえばいいところを、自分のやっていること、やってきたことを、かなり謙遜して話していることに初めて気がついたのです。
そして、どうしてそれに今まで気がつかなかったのかというと、普通日本人と話していれば、自分を謙遜した後に、相手はそれを「いえいえそんなことないですよ、頑張られていますよ」なんて、次の瞬間にさっと持ち上げてくれて、まるで阿吽の呼吸の”もちつき”のように特殊なリズムと両者の掛け合いで会話が進んでゆくわけです。
しかし今回話していたのは海外から帰って来たての日本人であったため、そんな面倒臭い”もちつき”会話は、彼女はとうの昔に忘れてしまっているのでやってはくれず、私が謙遜して自己紹介してもそのまま、「へーそんなんだぁ」と放置され続けるわけです。
そして彼女は、自己主張の国から独立性を学び、日本に帰って来たてなので、自分のやってきたこと、やったことを大きく自信を持って自己を語りますし、私は”もちつき”癖がついていますから「すごいね、素敵ね」と話を聞きます。
家に帰って来て、どうしてあの人はあんなに自信満々で、私はこんなに自信がないのかと、どっと疲れてモヤモヤの闇が襲って来ました。そして自分がこの9年で日本人の会話の進め方にどっぷり浸かっていることに初めて気がつきました。
9年前、帰国して来たばかりの私は、おそらく彼女のような会話の仕方をしていたと思います。彼女の性格が悪いわけでも、特に自意識過剰なわけでもないのです。
アメリカ人の友人が、日本とアメリカ間の子供の教育についてよく言っていた言葉で、『協調性を養うには長い時間がかかり、独立性を学ぶのは1日で学べる』、つまり、日本で強調性を学んでからアメリカで独立性を学ぶ、という順番の方が簡単で効率的である、その反対、アメリカで独立性を学んでから日本で協調性を学ぶのは難しく苦労する、という意味の言葉なのですが、そのことを最近考えていました。
最近の自分は、日本の協調性にバランスがよりすぎてしまって、アメリカで学んだ独立性の割合を増やすべきなんだろうなと気がついたのです。そして、もう少し自分のことを自信を持って相手に話せるように、自分にもっと自信をつけたほうが良いということももう一つの気づいたことでした。
自分に自信をつけるために小さなことを毎日継続して続けることを始めました。小さなことでも、自分が苦手だなと思うことをとりあえず続けてやってみるのです。もうやめようかなと思っていたことも続けてみる。そんな小さな積み重ねが、いつか大きな自信に繋がってゆくんだと、ささやかなる挑戦を積み重ねています。
人と人との出会いは、その両者にとって気がつく必要があるから出会い、話す機会が生まれるのではないかと思います。私にとって気づきがあったように、相手にとっても何か新たなる課題の発見があったなら良いなと思います。
人間関係は長く続くものもあれば、とても短いものもあり、賞味期限のようなものだと思います。期間が長いから良き出会いであるということではなく、短くても自分の成長に欠かせない必然的なメッセージを持った出会いがあると思います。そう思うと絶妙なタイミングで人生の中にはいろんな出会いが用意されていることが神秘的に感じます。
昨年、長い間一緒に仕事をしてきた日本人の先生が、アメリカに引っ越されるのでやめられたのですが、その女性は国際結婚されていてアメリカ生活が長かったにもかかわらず、とても日本人的で謙虚で、悪口も愚痴ひとつ言わず、怒らず、いつも飄々としていて、仕事をやめられる際もメールでは済まさず、お世話になったのでご挨拶をしたいと直接家まで会いに来てくださって、とても丁寧な方でした。将来、彼女のようにアメリカと日本の間でバランスの取れた女性になれたら、と憧れるお手本にしたいと思える女性でした。
彼女に一度、海外経験がとても長いのにどうしてあなたはそんなに日本人ぽいのか聞いたことがありました。そう聞かれて彼女は「アメリカで出産、育児をしていた頃、息子のために、私だけはずっと日本人であり続けようといつも思っていたんです」と話してくれました。
そんな彼女との出会いの中で、残された言葉を思い出しながら、私はどうこれから変化してゆくべきか、手放すべきもの、持ちつづけたいもの、なりたい理想の大人の女性像について考えています。
アメリカ人の夫が初対面の方によく聞かれる質問もこの「日本に住まれて何年ですか?」という質問が多く、もう9年目なんですと答えると聞いてきた相手は、「長い間住まれているんですね」と、なんだかホッとした顔になるのだそうです。
夫を見ていてこの9年で日本人化したなと感じる点が多々あります。
住み始めた頃は本音が顔に出ない日本人のポーカーフェイスなところや、日本人の本音と建前の会話や約束などが理解できないと悩んでいましたが、最近では日本のコミニケーションに慣れて、はっきりとした言葉を使わず柔らかい丁寧な言い回しで遠回りにお断りすることができたり、人間関係が円滑に包むように謝ったり、相手を傷つけないようにと本音は語らず建前で話できたり、どこかに出かければ生徒の方やお世話になっている方にお土産を一つ買って帰ろうと珍しいものはないかと探して歩いて回ったり、私より落ち着いた日本人のように思えます。
私はというと、日本人の協調性とアメリカで学んだ独立性の二つの間で、9年経った今もうまくバランスが取れず、年長者の方に「いい人になりすぎてはいけない」とアドバイスをいただいたり、本音を言わず我慢して受け入れすぎて、急に爆発して怒って喧嘩してみたり、失敗しながら二つの間でのバランスを模索している状況です。
他の国に長い間住んでいると、その国の話の進め方、行動のやり方に自然と変化してゆきます。私は昔アメリカ旅行中に、現地に住んでいる旅行会社の日本人スタッフの日本語や対応が、とても冷たく感じて驚いたことがありました。
現地スタッフたちは、アメリカ人化してしまっている頭の回路で英語を日本語に変換して話しているので、偉そうな対応をしているわけではないのですが、日本から来たての丁寧な接客に慣れきってしまっている日本人には、とても失礼な対応に聞こえてしまうわけです。
私は自分がこの9年で変化したという意識は全くなかったのですが、つい最近、海外で10年ほど暮らしていて帰国してきたばかりの日本人女性と話す機会があり気がついたことがありました。
私が自分のことを彼女に話している時に、もっと自信を持っていえばいいところを、自分のやっていること、やってきたことを、かなり謙遜して話していることに初めて気がついたのです。
そして、どうしてそれに今まで気がつかなかったのかというと、普通日本人と話していれば、自分を謙遜した後に、相手はそれを「いえいえそんなことないですよ、頑張られていますよ」なんて、次の瞬間にさっと持ち上げてくれて、まるで阿吽の呼吸の”もちつき”のように特殊なリズムと両者の掛け合いで会話が進んでゆくわけです。
しかし今回話していたのは海外から帰って来たての日本人であったため、そんな面倒臭い”もちつき”会話は、彼女はとうの昔に忘れてしまっているのでやってはくれず、私が謙遜して自己紹介してもそのまま、「へーそんなんだぁ」と放置され続けるわけです。
そして彼女は、自己主張の国から独立性を学び、日本に帰って来たてなので、自分のやってきたこと、やったことを大きく自信を持って自己を語りますし、私は”もちつき”癖がついていますから「すごいね、素敵ね」と話を聞きます。
家に帰って来て、どうしてあの人はあんなに自信満々で、私はこんなに自信がないのかと、どっと疲れてモヤモヤの闇が襲って来ました。そして自分がこの9年で日本人の会話の進め方にどっぷり浸かっていることに初めて気がつきました。
9年前、帰国して来たばかりの私は、おそらく彼女のような会話の仕方をしていたと思います。彼女の性格が悪いわけでも、特に自意識過剰なわけでもないのです。
アメリカ人の友人が、日本とアメリカ間の子供の教育についてよく言っていた言葉で、『協調性を養うには長い時間がかかり、独立性を学ぶのは1日で学べる』、つまり、日本で強調性を学んでからアメリカで独立性を学ぶ、という順番の方が簡単で効率的である、その反対、アメリカで独立性を学んでから日本で協調性を学ぶのは難しく苦労する、という意味の言葉なのですが、そのことを最近考えていました。
最近の自分は、日本の協調性にバランスがよりすぎてしまって、アメリカで学んだ独立性の割合を増やすべきなんだろうなと気がついたのです。そして、もう少し自分のことを自信を持って相手に話せるように、自分にもっと自信をつけたほうが良いということももう一つの気づいたことでした。
自分に自信をつけるために小さなことを毎日継続して続けることを始めました。小さなことでも、自分が苦手だなと思うことをとりあえず続けてやってみるのです。もうやめようかなと思っていたことも続けてみる。そんな小さな積み重ねが、いつか大きな自信に繋がってゆくんだと、ささやかなる挑戦を積み重ねています。
人と人との出会いは、その両者にとって気がつく必要があるから出会い、話す機会が生まれるのではないかと思います。私にとって気づきがあったように、相手にとっても何か新たなる課題の発見があったなら良いなと思います。
人間関係は長く続くものもあれば、とても短いものもあり、賞味期限のようなものだと思います。期間が長いから良き出会いであるということではなく、短くても自分の成長に欠かせない必然的なメッセージを持った出会いがあると思います。そう思うと絶妙なタイミングで人生の中にはいろんな出会いが用意されていることが神秘的に感じます。
昨年、長い間一緒に仕事をしてきた日本人の先生が、アメリカに引っ越されるのでやめられたのですが、その女性は国際結婚されていてアメリカ生活が長かったにもかかわらず、とても日本人的で謙虚で、悪口も愚痴ひとつ言わず、怒らず、いつも飄々としていて、仕事をやめられる際もメールでは済まさず、お世話になったのでご挨拶をしたいと直接家まで会いに来てくださって、とても丁寧な方でした。将来、彼女のようにアメリカと日本の間でバランスの取れた女性になれたら、と憧れるお手本にしたいと思える女性でした。
彼女に一度、海外経験がとても長いのにどうしてあなたはそんなに日本人ぽいのか聞いたことがありました。そう聞かれて彼女は「アメリカで出産、育児をしていた頃、息子のために、私だけはずっと日本人であり続けようといつも思っていたんです」と話してくれました。
そんな彼女との出会いの中で、残された言葉を思い出しながら、私はどうこれから変化してゆくべきか、手放すべきもの、持ちつづけたいもの、なりたい理想の大人の女性像について考えています。
ガードナー 瑞穂
アメリカ人の夫と今年で国際結婚生活11年目。2児の母。 フロリダ ディズニーワールドにて勤務4年。 日本へ帰国後、生まれ育った関西北摂地域で、英会話講師のエージェントの仕事の傍ら、 イラストレーターとして活動しています。コラムに掲載しているイラストのサイトはこちら
英会話アルテミス
豊中と箕面のカフェで習うマンツーマン英会話。お洒落なカフェレッスン。レッスンは毎回払い。
HP:http://www.eikaiwa-artemis.com/
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