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ほどなく、お別れです(長月天音)

葬儀会館でのお仕事小説

ほどなく、お別れです
長月 天音(著)
葬儀会館でアルバイトする女子大生のお話、長月天音さんの『ほどなく、お別れです』を読了しました。
清水美空は大学4年生。不動産業界にこだわって就職活動をしてきたが、どこからも内定をもらえない。

季節はすでに秋だというのに。

焦る美空に対して、家族は優しかった。思い詰めないで、少し就職活動を休んではどうかと言ってくれた。

そんな時にアルバイト先の先輩職員から電話がかかってきた。

予定が立て込んできたので、就職活動でお休みしていたアルバイトに戻ってきてくれないかと。

職種的に「計画的な仕事」が無理なことを美空はよく理解している。

美空は葬儀会館でアルバイトしているのだ。

人のご不幸は予定が立てられないし、ご不幸が重なることもよくあることだから……
(長月天音さん 『ほどなく、お別れです』の出出しを私なりに紹介しました)
私が知らないだけかもしれませんが、葬儀会館を舞台にした小説は珍しい気がします。

本木雅弘さん主演の映画『おくりびと』がヒットし、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞して以来、「死」を取り扱う人への印象が変わってきたのかもしれません。少なくとも私はあの映画を見てプラスの印象に変わりました。

また、私は昨年(2023年)の9月に母の葬儀で喪主を務めました。その際、葬儀がこんなにも大変なのかと思い知りました。とにかく決めることが山のようにあるのです。祭壇の花のことから通夜振る舞いや粗供養まで、なんとか全て決めることができましたが、お通夜が終わるまで私は一滴も涙が出ませんでした。それくらい忙しかったのです。

その際、葬儀会館の方が根気よく丁寧に説明してくださり、こちらがお願いしたことは、どんなことでも迅速に対応してくださり、なんと大変な仕事だろうかと感じ入ったのを覚えています。また、母のお通夜の時には、ご不幸が重なったのか、式場の全ての階でお通夜や告別式が行われていて、職員の人の大変さを感じました。

私自身、喪主として葬儀会館で働く人たちと接した後だったので、この小説は場面が実際に目に浮かぶようでした。

もう一つ、この小説に感情移入できたのは、主人公の特性のためでもあります。

主人公の清水美空さんは「見える」人なのですよ。霊的なものが見える、のです。

実は私も「見える」人です。子どもの時からいわゆる「霊的な体験」をしてきました。

怖いと思うこともあれば、ただただ不思議だなと感じることもありました。

一番怖かったのは、大学の卒業記念に仲良し4人組で中国旅行に出かけた時。

上海のホテルでは二人ずつに分かれて泊まったのですが、出たんですよ。

私とYちゃんが泊まった部屋に。

私が見たのはグレーの人民服を着た男性でした。帽子もかぶっていました。

Yちゃんと「おやすみなさい」を言い合い、電気を消してふと見たら、私のベッドの足元に男性が俯いて立っていたのです!!

怖い!!と思ったけれど、同室のYちゃんに言ったら怖がるだろうと思い、朝まで我慢していました。

心の中で「アーメン」「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と、知っている祈りの文句を繰り返しながら。

恐怖の一夜が明けて、朝日が差し込んできたところで、もういいだろうと思い

「ねえねえ、Yちゃん、昨日の夜さぁ、ここにね……」と私が言いかけると、上から被せるようにYちゃんが「男の人が立ってたんでしょ?!」と叫ぶではありませんか。

「灰色の詰襟みたいな服着ていたでしょ」と私。「帽子かぶってたよね」とYちゃん。

そう、Yちゃんにも同じ人が見えていたのです。だけどYちゃんも私を怖がらせてはいけないと思い、黙っていてくれたのでした。

実は人民服の男性が現れるまでにも、その部屋ではとても奇妙なことが起こっていたのですが、それを書くと長くなるのでやめておきますね。要するに、たまたま私もYちゃんも「見える」人で、見える者が揃ったところに出てきた、という感じでした。

つまり私は、そういうことを信じているのです。だって実際に見えるんだもの。

だから美空が葬儀会館で働いているときに、棺に安置されている当人を見ることに違和感はありませんでした。そういう人もいるだろうね、と思うだけです。

私の霊感は母譲りなのではないかと思っていますが、美空の場合は、亡くなった姉のおかげでそういうものを見たり感じたりするようです。美空には、幼くして亡くなった姉がいて、いつも美空のそばについてくれているようなのです。美空はいつも霊的なものが見えるわけではなく、亡くなった姉が夢に出てきた後でそういう体験をするようです。

『ほどなく、お別れです」には三つの短編が収められています。
第一話 見送りの場所
第二話 降誕祭のプレゼント
第三話 紫陽花の季節
(長月天音さん『ほどなく、お別れです」の目次より抜粋)
一話につき一つの葬儀が描かれています。

第二話ではまだ幼い少女の葬儀が描かれています。

幼い子どもさんの葬儀は悲しいものです。特に、闘病の末に亡くなったとあれば悲しみも深い。

奇跡を信じて闘病を支えてきた母親の嘆きは想像にかたくありません。

私は過去、参列した葬儀の時にこんな言葉を聞いたことがあります。

「そんなに泣いたらあかん。○○さんが成仏できへんよ」

嘆き悲しみすぎると亡くなった人の魂が前に進むことができないというのですね。

第二話で亡くなった幼女も、母親の嘆きのためか、先に進むことができずにいます。

いえ、そもそもその子は死の意味がわかっていないし、自分が亡くなったことも実感できていないのです。これからもずっと、家族のそばにいたいと思ったとしても無理はないでしょう。

そんな状況を救うのは、霊が見える美空であり、やはり「見える」僧侶 里見です。

また、見送る側の人たちの心を癒し、次のステップに進めるように手助けするのは、葬儀を統括する漆原。漆原はいつも冷静沈着、つつがなく儀式を終えると同時にご遺族の心に気を配ることができる上司です。何しろ葬儀は誰にとっても一生に一度のこと、失敗は許されないのですから、私も自分の葬儀は漆原のような人にお願いしたいものだと思いました。

『ほどなく、お別れです』はシリーズ化されているようです。

女子大生の美空と僧侶 里見、葬儀コーディネーターの漆原という絶妙なトリオが今後も力を合わせて故人を成仏させていくのでしょう。
余談
上に書いたように、私は自分が「見える」のは母譲りではないかと思っています。

実はこんなことがあったのです。

私の実家はお墓を二ヶ所に持っています。一つは地元の兵庫県尼崎市、もう一つは京都の大谷本廟。

若い頃からずっと母と親しくしてくださっていた方が京都のお墓にお参りしてくださったのですが、探しても探しても墓が見つけられなかったそうです。その方は何度も何度も探し回り、最後に「ごめんな。もう帰るわ」と呟いたところ、「ここやで!!」という母の声が聞こえたのですって。ハッとして声のする方を見上げたら、そこに我が家のお墓があったのだとか。

その話、私は信じます。

私も、母が亡くなってから何度か「あ、今この場にいるな」と感じることがありました。

成仏していないのではなく、この世に時々遊びに来ているのではないかと思っています。
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ほどなく、お別れです
長月 天音(著)
小学館
この葬儀場では、奇蹟が起きる。夫との死別から二年の歳月をかけて書き上げた、この冬を最高に温かくする新たなベストセラー!第19回小学館文庫小説賞受賞作 出典:楽天
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池田 千波留
パーソナリティ・ライター

コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。
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パーソナリティ千波留の
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ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HPAmazon

 



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