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名著の話 僕とカフカのひきこもり(伊集院光)

元の本を読みたいと思わせる、熱量の高い対談

名著の話
僕とカフカのひきこもり
伊集院 光(著)
NHK Eテレ(教育テレビ)の「100分de名著」は、古今東西の名著を一冊取り上げて、25分ずつ、4週4回にわたって読み解いていく教養番組です。NHKのアナウンサーが進行し、その本をよく知る専門家がわかりやすく丁寧に解説をしていきます。

本書は、番組で取り上げた本のうち、出演者であるタレントの伊集院光さんがもっと知りたい、語りたいと思った3冊について、専門家とさらに対談を重ねた記録を収めたものです。伊集院さんが正座して熱心に本を読んでいる表紙のイラストがほのぼのと魅力的です。

伊集院さんは、2012年の番組開始から出演されていますが、その役回りは「わかってない人」、つまり番組で取り上げる本を読んでいない人の代表です。「未読の人」であることが使命なので、取り上げられる名著を事前に読むことが禁止されています。たまに教科書で目にしたり、流し読みしたりしたことがある本もあるそうですが、大抵は「はじめまして」なのだそうです。

私は、読んでいない本の解説は読まない派なので、「100分de名著」は読んだことのある本に関するものをいくつか見ただけなのですが、そのなかで伊集院さんのコメントや質問がたいへん的確なのに感銘を受けたことがあるので、「未読の人」という事実には驚きました。

さて、本書で取り上げられている3冊のうちの1冊、カフカの『変身』は、私も輪読の授業で学生さんたちとあれこれ語り合った思い入れのある作品です。番組は見ていませんでしたが、本書のなかで伊集院さんとカフカ研究者である川島隆先生が、どんなことを話し、どんな解釈をしているのだろうと気になって読み始めたら、これがたいへん面白く、一気に読んでしまいました。

カフカの『変身』といえば、平凡なサラリーマンだったグレゴール・ザムザが、ある朝、目を覚ますと、巨大な虫のような生き物になっていたという超現実的な話です。なぜ虫になったのかという説明は一切なく、しかも、突如のことにもかかわらず、家族はその生き物がグレゴールであることを疑わないという、不思議な設定の短編小説です。

そのような突拍子もない設定なのですが、虫のような生き物を鬱になった人であるとか、体が不自由になった人に置き換えて読むと、現代社会にもあてはまる家族を描いた小説ではないかといった考察ができます。それでいて、クスっと笑えるシーンがちりばめられていて、その妙を楽しむこともできます。

伊集院さんや、解説の川島先生は、『変身』を読んで、ひきこもっていた頃の自分や、人としゃべれなかった頃の「俺の話」だと思ったそうです。さらには、コロナ禍で、突然、これまで従事してきた仕事や活動を停止せざるを得なくなって、家にひきこもらざるを得なくなった世界中の人々の話でもあるとしています。また新たな『変身』の読み方が現われたなと感じ入りました。

対談のなかで、伊集院さんは、「お調子に乗ったニワカが<僕論>(そして暴論)をたくさん投げかけることになった」のですが、先生は、そのどれにも丁寧に答えられ、ときには「それは初めて聞いた解釈ですね! 面白いですね!」とうなずかれたそうです。

この現象を、伊集院さんは<無知との遭遇>と呼んでいます。高いレベルで知的交流をしている人が、低いレベルの考えに触れたときに起こるビッグバン的な現象と謙遜されているのですが、人とじっくり語り合いたいと思える本に巡りあえた人が、その本について人と語り合って新しい見方や解釈に出会える幸せ、そうした時間を共有できる幸せを、専門家の先生も感じているように思います。

収録されているのは、他に、柳田国男『遠野物語』(対談相手は石井正己さん)、神谷美恵子『生きがいについて』(対談相手は若松英輔さん)です。いずれも元の本を読みたいと思わせる、熱量の高い対談です。続編も期待したいです。
名著の話
僕とカフカのひきこもり
伊集院 光(著)
KADOKAWA 2022年
NHK「100分de名著」で出会った約100冊より、伊集院光が、心に刺さった3冊を厳選。名著をよく知る3人と再会し、時間無制限で新たに徹底トークを繰り広げる、100分de語りきれない名著対談! 出典:amazon
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橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
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