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となりのカフカ(池内 紀)

人間味あふれる実像

となりのカフカ
池内 紀(著)
"ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドの中で、自分が途方もない、虫に変わっているのに気がついた"
フランツ・カフカ(1883-1924)の有名な短編小説「変身」は、このように始まります。

カフカの小説はどこかで読んだことがあり、よく分からないところがあるけれども、印象に残っている。写真も見たことがあるような気がする。なんとも不思議で難しい小説を書いた人というイメージがある。今回ご紹介するのは、そんな人のためのカフカ入門書です。

カフカというと、多くの人が思い浮かべるイメージがあるのではないでしょうか。大きな目、そげた頬、とがった両の耳。キリッと真剣すぎる面持ちで、笑うことなんてなさそうな人。そう私は思っていました。

でも本書を読んで、実はカフカはよく笑う人だと知りました。おしゃれで、スポーツが好きで健康志向。機械類も大好き。法学博士の学位を取って保険公社に勤め、順調に出世しました。よくモテたし、すぐに恋もしました。天才的なところは少しもなく、気弱でつつましく生きた人でした。本書からは、そんな「すぐとなりの席にいるカフカ」の姿が浮かび上がってきます。

カフカは勤勉で実直なサラリーマンでしたが、夜は小説を書くことに費やしました。趣味の程度を超えている、いつ結婚するのだとやきもきする両親からのプレッシャーを避けるように、仕事のあと、妹が借りた部屋に行って夜通し執筆に励みました。それなのに、友人の尽力で出版の話が持ち上がっても、彼はいつも尻込みしていたそうです。

カフカは、日記や創作ノートや手紙をたくさん残しました。自分が亡くなった後はそれらを処分するよう、親友のマックス・ブロートに頼んでいましたが、彼の「裏切り」のおかげで、それらは散逸や消滅を免れ、編纂されて公刊されました。その結果、カフカは20世紀文学に欠かせない一人になったのです。

本書は、カフカの作品たちがどのように生まれたのかを解説してくれています。朝起きたら巨大な虫になっていた男の話(「変身」)だとか、何も悪いことをしたおぼえがないのに逮捕されていた男の話(「審判」)のような悪夢じみた小説は、カフカの実生活や夢から着想を得ていたことを池内さんは読み解きます。

カフカが代表作を書いた時期は、私生活で特別な事情があったとき、あるいはせっぱつまった状態に陥ったときと一致していたそうです。知り合った女性にしきりに手紙を書き出したとき、その女性との婚約を一方的に解消したとき、同じ女性と再度婚約したときといったように。そうした背景を知ると、ますます、カフカに人間味を感じてきます。

ドイツ文学者で名エッセイストであった故・池内紀さん(1940-2019)の軽妙な文体にひきこまれ、読み終わるころには、すっかりカフカに親しみがわきました。章の扉ページを彩る池内さんの手によるイラストも味があって素敵です。

最終章は、カフカ・アルバムとプラハ案内です。カフカや友人、恋人たちの写真、肖像画やスケッチなどがたっぷり掲載されています。微笑んだ「海辺のカフカ」のスナップ写真もありますよ。

巻末のプラハの地図には、カフカの生家、一家が住んだ家、カフカが執筆に使った部屋、勤め先など、ゆかりの場所が記されています。

ここに紹介されたもののほかにも、カフカ博物館やショップ、像やオブジェなどがたくさんできて、カフカはすっかりプラハの観光資源となっています。もし彼が今のプラハでの人気ぶりを知ったら、さぞ驚くでしょうね。
となりのカフカ
池内 紀(著)
光文社新書 2004年
カフカ初級クラス・十二回講義。しめくくりは修了祝いのプラハ旅行つき。 出典:amazon
profile
橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
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