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チェルノブイリの祈り(S・アレクシエービッチ)

『どうなっていくのかわからない恐怖は、戦争以上』

チェルノブイリの祈り 未来の物語
スベトラーナ・アレクシエービッチ(著)
毎年、多くの人の関心を誘うノーベル文学賞。2017年は、カズオ・イシグロさんが受賞されました。日本出身ということもあって、例年以上に話題となりました。

『チェルノブイリの祈り』は、一昨年2015年のノーベル文学賞を受賞した、ベラルーシの女性作家スベトラーナ・アレクシエービッチの代表作です。

ベラルーシは、かつてソ連邦を構成していた共和国の一つで、ポーランドの東、ウクライナの北に隣接しています。

第二次世界大戦では、ポーランドから侵入したドイツ兵によって628の村が焼かれ、国民の25%が亡くなりました。

その凄惨な歴史は、同じアレクシエービッチの『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』に詳しく描かれています。

さて、1986年に大事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ原子力発電所はベラルーシとの国境近くにありました。事故当時、風が北西に向かって吹いていたために、大量の放射性物質がベラルーシに降り注ぎました。

著者のアレクシエービッチは、歴史のなかに消えていく一人ひとりの人間の記憶を残すことが大切であるという信念のもと、時間をかけて一人ひとりの話を聞き、その声を加工せずに編むという形の作品を世に送り出してきました。

本書も、チェルノブイリ原発事故を経験した300人に、事故発生10年後にインタビューをして得た証言を編んだ作品です。

初期消火に当たった消防士の妻、
3日だけと言われて、着の身着のまま疎開させられた村人、
生まれ育った土地を離れずに残った老人たち、
内戦を逃れるために、あえてチェルノブイリに移住してきた人々、
調査に当たった科学者、事故の処理に従事した技術者や軍人。

ごく普通に生活を営んできた彼らは、土地や家を失い、家族や友人を失い、避難先、移住先では差別を受けます。

彼らが語る経験や目撃談からは、公的な記録には残らない歴史の実態があぶりだされます。

防護服や線量計の支給もなく長期間にわたった事故処理、
高価な加工肉であれば大量に食べないからと汚染肉を混ぜられたソーセージ、
疎開させられた村の家屋からは一切合切が略奪される、
被曝して死亡した人の埋葬地には入ることもできない、
放射性廃棄物埋設施設という名のただの穴に放り込まれる汚染された家屋や重機、
それらも盗まれてどこかへと転売されていく…

しかしテレビでゴルバチョフは 「すべて良好、すべて制御できている」と演説していたのです。

放射能という目に見えない「敵」との闘いは、これまで経験したことがないこと、想像できないことだと証言者たちは語ります。

理解できないこと、どうなっていくのかわからないということの恐怖は、戦争以上であると人々は言います。本書で描かれるのは終末観が漂う死の世界です。

それと同時に、死にゆく夫や子どもたちへの深く強い愛、生まれ育った大地や生きものたちへの愛、祖国への愛、祖国を守るという強い思いが表出します。

事故から30年経ちましたが、ベラルーシでは今でも「チェルノブイリ」は終わっていません。原発の処理も、これから先、いったい何年かかるのかわかりません。

ソ連が解体し共和国が独立したことによって、ベラルーシは自力で自国内の被害への対応をせねばならなくなりました。決して豊かではないベラルーシにとって、これは大変な負担になっています。

なぜベラルーシにここまで災難が降りかかるのか…

「これもやはり一種の無知なんです、自分の身に危険を感じないということは。」

チェルノブイリから25年後に同レベルの事故を起こした日本は、この言葉を深刻に受け止めなくてはいけないと思います。
チェルノブイリの祈り 未来の物語
スベトラーナ・アレクシエービッチ(著)
松本 妙子 (翻訳)
岩波現代文庫
1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か。本書は普通の人々が黙してきたことを、被災地での丹念な取材で聞き取る珠玉のドキュメント。汚染地に留まり続ける老婆。酒の力を借りて事故処理作業に従事する男。戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者。四半世紀後の福島原発事故の渦中に、チェルノブイリの真実が蘇る。出典:amazon
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橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
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