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旧友再会(重松清)

気がつけば泣いていた

旧友再会
重松清(著)
最近、懐かしさが極まって涙が出ることがあり、歳をとったなぁと思います。

重松清さんの『旧友再会』は、そういう意味の涙がボロボロこぼれる短編集でした。

『旧友再会』には5つの短編が収められています。

「ある年の秋」、「旧友再会」、「ホームにて」、「どしゃぶり」、「ある帰郷」。

私が大泣きしたのは「ある年の秋」です。

主人公は小学生の博史。認知症の舅の介護を題材にした有吉佐和子さんの『恍惚の人』が大きな話題になった頃、博史の祖母に認知症の疑いが持たれます。

当時は認知症という言葉はありませんでした。

もっと直接的な言葉で表されていたのだけれど、有吉さんの小説の題名をとって博史は「うちのおばあちゃん、恍惚の人になっちゃったの?」と言っています。

そんな遠回しな表現を、私も覚えています。

おそらく博史と私は同じ歳ではないかと思うのです。

『恍惚の人』が話題になった時期や、横井庄一さんや小野田寛郎さんの生還時期、上野動物園にパンダが来た時期の表現からそう思いました。

博史のおばあちゃんは息子を第二次世界大戦に送り出し、遺体の代わりに石ころ一つで戦死したことを納得させられました。

それなのに、グァム島で横井庄一さんが、ルバング島では小野田寛郎さんが生き延びておられ、日本に帰国されたではありませんか。

自分の息子ももしかしたらと思わずにいられず、動揺するのも無理はありません。

そして言動が揺れて、認知症かと疑われることになるのです。

私が小学校に上がる前、母と大阪に出かけると、阪急梅田駅から御堂筋線の梅田駅に向かう通路や、阪急電車と当時の国鉄、阪神電車をつなぐ大きな陸橋の上には、脚や腕の先がないおじさんが、ゴザを敷き、空き缶を前にして座っているのをよく見かけたものでした。

前を通るたびに母は私に何がしかのお金を握らせ空き缶に入れてくるように言いました。

「あの人達は、ショーイグンジンさんなのよ」

母の言葉が「傷痍軍人」なのだとわかったのは数年後でした。

私は戦争を知らない世代なのですが、そんな形で「戦後」を意識できる世代だったと言えます。

だから戦地の軍人さんと縁もゆかりもない私でも、横井庄一さんや小野田寛郎さんの帰還にとても衝撃を受けました。

息子を戦地に送り出した人であれば、その衝撃はいかばかりか。

物語は進み、最後に家族で上野動物園にパンダを見に行くシーンがあります。

私の涙腺が決壊したのはそこでした。

私は小学校6年生の冬に、初代パンダを見に行きました。新幹線に乗るのも初めてでしたよ。

主人公の博史の見ている風景と私が見た風景が重なった時、自分自身の子ども時代のあれやこれやが脳内でわーっと展開したと思ったら、涙がボロボロこぼれてきたのでした。

泣きじゃくる私に、夫が冷たく「酔ってるのか?! 今後は家飲み禁止!」と言っておりました。

いやいやいや、酔ってませんって!

年下のキミにはわからんだろうよ。

この切なさ、懐かしさは。

私の個人的な思い入れは置いておき、この上野動物園のシーンは、博史の家の三世代の思いが交錯する部分で、胸が熱くなるのです。

私を大泣きさせた「あの年の秋」以外の作品も、戦後から高度成長時代の日本で生きてきた人に懐かしさとほんのすこしの痛みを感じさせてくれます。

そして、しみじみ「思えば遠くへ来たもんだ」と思わせてくれるのでした。

昭和世代の人必読と言っていいと思います。
旧友再会
重松清(著)
講談社
あの人にいま会えたら、何を伝えますか?子育て、離婚、定年、介護、家族、友達。人生には、どしゃぶりもあれば晴れ間もある。重松清が届ける5つのサプリメント。 出典:楽天
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池田 千波留
パーソナリティ・ライター

コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。
BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」

パーソナリティ千波留の
『読書ダイアリー』

ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HPAmazon

 



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